戦火の日々に生まれた工場大学

 

 

戦火の日々に生まれた工場大学

 

チュチェ40(1951)年、祖国解放戦争たけなわのある日、金日成主席は一工場を訪ねた。

当時、工場の状況は非常に困難であった。敵の無差別な爆撃によって破壊された工場を復旧し生産に入ろうとすると、資材や機械設備も、それに労力も足りなかった。特に、何よりも差し迫った課題は熟練工や技術者が足りないことであった。

このような実態を洞察した主席は幹部たちに、工場が自力で管理役と技術者、熟練工を養成しなければならないという課題を与えた。幹部たちは驚かざるを得なかった。戦時に工場を復旧し生産課題を遂行すると同時に自力で技術者や管理役を育成することは考えも及ばぬ問題であったからである。

幹部たちの気持ちを察した主席は、心配することはない、工場大学を設ければいいとしその方途を示した。

主席は、労働者たちが昼には工場で働き夜には学校で勉強することができる、もちろん、戦争を行っている困難な状況の下でこれはなまやさしいことではないが、こうしてこそ、戦争の最終的勝利を早めることができ戦争が終わった後にも破壊された経済をすみやかに復旧することができる、と述べた。

祖国の地には砲声が轟いていたが、主席はすでに勝利した明日を見通して復興建設の一翼を担う民族幹部と技術人材を育てる遠大な構想を練ったのである。

主席は幹部たちに、これから前線から一部の戦闘員を召還して大学に送ろうとするが、同工場の人たちも送ってやる、と言った。

その後、主席は再び工場を訪ね、工場大学の設立を具体的に指導した。

こうして1951年7月15日、最初の工場大学が開学する驚異的な出来事がもたらされた。

今日、朝鮮には大きな工場や企業、各重要工業地区に工場大学があり、数多くの労働者大学生たちが工場大学で思う存分学び、有能な技術者、活動家として育っている。

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