朝鮮の三十八度線(89)
ソ米共同委員会の破綻(19)
世界の言論はこれをトルーマン・ドクトリン、冷戦の宣言などと呼んだ。
国務長官マーシャルは、六月五日、ハーバード大学で、ヨーロッパで共産主義の波及を阻止するためのヨーロッパ復興計画(マーシャル・プラン)を発表し、国務次官アチソンは、アメリカは共産主義の支配がアジア大陸と東南アジア地域に拡大することをこれ以上座視できない、と公言した。
アメリカはヨーロッパでソ連圏の封鎖を目的とする軍事同盟づくりに着手した。
これは北大西洋条約機構(NATO)結成のはじまりとなった。
アメリカとその同盟国の動きに対処してソ連と一連の労働者党、共産党は、一九四七年十月、ワルシャワでコミンフォルム(共産党および労働者党情報局)を創設した。
ヨーロッパではソ米英仏で構成された対独管理理事会の機能が麻痺し、スターリンのベルリン封鎖によって東西間には戦争の危機がかもしだされた。
列強の対日管理機構極東理事会もまたいかなる共同決議も採択できなくなった。
ヨーロッパにおける両陣営の対立は、アジアでも朝鮮問題にたいするソ米協商を凍結させることになった。
マーシャルは国務省と陸軍省の朝鮮問題専門家による合同委員会を組織し、冷戦政策下の朝鮮問題対策を講究するよう委任した。
合同委員会は研究の末、現段階での米軍撤退は朝鮮半島をソ連の衛星国に変える結果をまねくであろうとし、モスクワ三国外相会議の決議実行を中止して朝鮮で国連監視下の総選挙をおこない、臨時政府を樹立することを勧告した。
八月六日、国務省被占領地域担当次官補ヘルドリングは、これに賛同してマーシャルに伝えた。