朝鮮の三十八度線(8

ソ米共同委員の破綻(1

南朝鮮では左翼陣営の指導者をはじめモスクワ決議を積極的に支持し共同委員会との口頭協議に参加するために選ばれた民主的政党・大衆団体代表にたいする検挙と弾圧が強行されていた。

ソウルでソ連代表団と会った民主団体代表がその面前で逮捕される事件まであった。

シュティコフ大将は、一九四七年八月二十日、南朝鮮で民主的政党・大衆団体へのこうした迫害に抗議して声明を発表した。

一方アメリカ側はソ米共同委員会で、ソ連代表団がアメリカ側地域で反乱をそそのかしているとし、ソ連側に民主的政党・大衆団体との口頭協議を中止するよう要求した。

その後アメリカ側はいっそう非協商的な行動をとりはじめた。

一九四七年下半期、第二回ソ米共同委員会でのアメリカのこのような行動は、当時アメリカが世界的にくりひろげはじめた反共冷戦政策の一環であった。

トルーマンは、一九四八年度大統領選挙の勝利を狙って情勢を極度に緊張させた。

仮想敵をつくって戦争雰囲気をあおり、有権者を引きつけるのが、ブルジョア政治家の常套的な手法であり、それは戦時極度に肥大化した米独占体の世界への膨張意欲にもかなうものであった。

一九四七年三月十二日、トルーマンはアメリカ上下両院合同会議で、ギリシアとトルコで共産主義の「掃滅」をはかる「特別教書」を発表し、社会主義への政治的・軍事的干渉を宣言した。

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