帰ってきた人たち
歴史には次のような悲話がある。
ナポレオン軍がモスクワに攻め入った時、捕虜になった兵士たちがいた。
戦後、ロシアはフランス当局に捕虜たちを引き取るよう通告したが、新たに政権を握ったブルボン王朝はそれを拒んだ。
そして、フランスの捕虜たちは三〇年近くもロシアで監獄暮らしをした後、監獄跡で畑を耕しながら故国を思って涙を流した……
朝鮮にはこれとは正反対の感動的な話がある。
南朝鮮で数十年にわたって獄中生活を強いられながらも、信念を守りとおした六〇余人の非転向長期囚が一度に北へ送還されたのである。
世界の注目が集まる中、非転向長期囚の李仁模(リインモ)が北に帰還した翌年の一九九四年二月のある日のことである。
―われわれは李仁模同志を連れてきたように南朝鮮にいるほかの非転向長期囚もみな連れてこなければならない。それで昨年彼らの姓名と住所をみな調べるようにと指示した。人類史に三〇~四〇年も獄中闘争をしながら転向しなかった革命家の話は、わが党によって教育、育成された革命家のあいだにしかない。わたしは、非転向長期囚たちを連れてくることは、革命の道でわが党に従ってたたかった同志たちへの革命的信義であり、革命の指導者が戦士たちにささげるべき貴い愛情であると考えている……
その後、総書記は南朝鮮で苦労している非転向長期囚たちを片時も忘れず、彼らを帰還させるための措置を次々と講じた。
二○○○年六月、国の統一問題を論じる歴史的な北南首脳の対面の際にも、総書記の念頭にはつねに北へ帰る日を待ち焦がれているであろう統一愛国闘士たちのことがあった。
四時間にわたる単独会談が終わり、両首脳は車で宴会場であるモンラン館に向かった。
車の中で金大中(キムデジュン)は、「離散家族」の問題だけは必ず解決してもらいたいと懇請した。
すると総書記は、北は八・一五(朝鮮解放の日)に際して離散家族・親戚訪問団として一○○人をソウルに送るつもりなので、南側でもそれくらいの規模で送ればいいだろう、その代わりに南側は非転向長期囚たちを送るべきだ、と答えた。
帰りの車内でも総書記はこの問題について金大中に釘を刺した。
こうして、非転向長期囚の送還問題が六・一五北南共同宣言に明記されることになった。
彼らの送還は既定の事実となったが、その後も総書記はこの問題に深い関心を払った。
総書記は関係部門の活動家たちにこう指示した。
非転向長期囚たちをつれてきたら最高の待遇をし、彼らを大いに推賞し誇るべきだ……
それから数カ月が経った九月二日、六三人の非転向長期囚が北に帰還した。
彼らには共和国英雄称号と祖国統一賞が授与され、最高の生活条件が保障された。
ある非転向長期囚が娘を授かった時、総書記はその子を「祝福(チュッポク)」と名づけた。