朝鮮の三十八度線(86)
ソ米共同委員会の破綻(16)
このような情勢を前にして、モスクワ三国外相会議の決議を尊重しソ米共同委員会に依拠するか、それともソ米協商を破綻させ李承晩親米集団を助けて武力で単独選挙を強行するかの二者択一を迫られたアメリカは、忠実な手先李承晩反動勢力をそのまま利用することにした。
ソ米会談を分析したインド学者ムルティは、この段階でアメリカのブラウンは、左翼愛国勢力が全朝鮮の行政を完全に掌握することに断固反対した、米軍司令部はモスクワ協定に反対する大衆示威禁止令を取り消し、右翼分子があらわにソ連を攻撃するよう仕向けた、と書いた(B・C・N・ムルティ『朝鮮にたいするインドの立場』ニューデリー、一九五三年、一一ページ)。
アメリカは形式にすぎなかった反信託運動禁止令を解除し、運動をあおりたてた。
ソ米共同委員会の破綻に政治的利益を見出す李承晩は、アメリカのシナリオに従って再び反信託騒動をくりひろげた。
こうしてソ米共同委員会は停滞し、協商は再び政府クラスに移された。
マーシャルは、八月十二日、モロトフへ書簡を送り、朝鮮の民主的政党・大衆団体代表が「ソ米共同委員会と協力する用意があるかぎり、それらを排除しない」のが五月二日のソ米合意である、と主張した(『朝鮮問題参考文献集』第一分冊<マーシャル書簡>四四ページ)。
これにたいしてモロトフは、八月二十三日、回答書簡を送り、信託統治反対闘争委員会との関係を正式に破棄するとともに、それからの脱退を宣言する政党、団体だけが協議会への参加資格があると認める、と答えた(同上<モロトフ書簡>四八ページ)。