朝鮮の三十八度線(84)
ソ米共同委員会の破綻(14)
ソ連代表団は共同委員会とモスクワ三国外相会議の決議に反対する立場を捨てず、信託統治反対闘争委員会に属する政党、大衆団体は規定通り、闘争委員会からの脱退を声明し、ソ米共同委員会とモスクワ決議に反対する闘争を中止する場合に限り協議に参加できると主張した(同上五五ページ)。
米代表団は、モスクワ三国外相会議の決議に反対する積極的な進出を励ましあるいは扇動しないか、決議を支持する政党、団体だけが協議対象になれる、というモロトフとマーシャルの合意を無視して、信託統治反対闘争委員会への加入が臨時政府からの排除条件になってはならない、と頑強に主張した。
モスクワ三国外相会議の決議に反対する李承晩派にたいするソ米間のこのような非妥協的な態度と立場のためにソ米共同委員会の活動は再びゆきづまった。
ソ米共同委員会の質問書が民主的政党・大衆団体に伝えられ、合同協議がおこなわれる過程で朝鮮民主主義臨時政府の樹立をめざす民主的政党・団体や人士たちの活動が積極化し、全国各地で民主勢力が急速に成長した反面、右翼反動勢力は受け身に陥りふるわなくなった。
アメリカはこのような情勢の発展に対処して、金奎植を中心とした「左右合作」にもとづく南朝鮮単独政府の樹立計画をおし進めはじめた。
一九四七年七月、アメリカは「過渡立法議院」を「南朝鮮過渡政府」に変えて、これに「行政権」を「委譲」すると宣言した。
この「政府」は米軍政長官の監督下に置かれ、人事権のない民政長官のポストに安在鴻(アンジェホン)が留任し、警察権も従来通り李承晩系の趙炳玉と張沢相(チャンテクサン)にゆだねられた。