朝鮮の三十八度線(82)
ソ米共同委員会の破綻(12)
共同委員会と大衆団体との連絡場所は便宜上二か所、即ち平壌では島山(トサン)里十八番地、ソウルでは徳寿宮と定められた。
また平壌とソウルで南北朝鮮の地域別に共同委員会と朝鮮の諸政党、大衆団体との合同会議を開くことを決定した。
モスクワ三国外相会議の決議を実行するためにソ米との口頭協議への参加を申請した朝鮮の諸政党、大衆団体との合同会議が、ソウルでは六月二十五日、平壌では六月三十日にそれぞれおこなわれた。
当時平壌では百三十三万名を代表する三十八の政党、団体(三政党、三十五団体)が、ソウルでは五百二十万名を代表する四百二十二の政党、団体(三十六政党、三百八十六団体)が口頭協議会への参加申請書を提出した。
しかしソ米共同委員会は、協議対象名簿作成上の根本的問題で再び暗礁に乗りあげた。
南朝鮮で解放の熱気と排日気運に威圧され孤立しつつあった親日売国奴や右翼分子の多くの幽霊団体が、ソ米共同委員会との協議参加を申請した。
協議参加を申請した南朝鮮の政党団体の八○%(三百余団体)は、三人一党式の「政党」「団体」であった。
ところが、なんとその総人数は南朝鮮人口を上まわって笑いものになった。
そこでソ連側は、協議対象を一万名以上の人員を持つ民主的政党・大衆団体に限り、大衆団体の資格がないが、地方小団体、存在が曖昧な団体、それにモスクワ三国外相会議の決議に反対する目的で特別に組織された団体は除外することを主張した。