朝鮮の三十八度線(80)
ソ米共同委員会の破綻(10)
当時トルーマンもまた、朝鮮をアジアにおけるアメリカのすべての成功いかんがかかっているかも知れないイデオロギー闘争の場だとし、課題の遂行に十分な期間朝鮮にとどまり、この課題の遂行に必要な人員と十分な資金を支出するよう国会に求めた。
トルーマンは強硬外交へ転換することを決心し、そのために戦時ソ連と多くの協約を結んだ国務長官バーンズを解任し、強硬派のマーシャルをそのあとにつけた。
そして朝鮮政策を勢力圏の拡張やソ連との折衝問題などのレベルではなく、両体制間の思想戦という非妥協的な観点から再定立するよう求めた。
マーシャルは、一九四七年初から朝鮮政策の検討をはじめ、このために国務、陸軍両長官のもとにおく高位特別委員会を構成した。
マーシャルは、高位特別委員会が現地司令官の意見および勧告を聞くためにホッジをワシントンに送るようマッカーサーに指示し、同時に、アメリカの失敗の責任をホッジが負う場合、陸軍省は朝鮮駐屯米軍司令官を変える計画があるとも知らせた。
しかし高位特別委員会はホッジを指揮した対ソ政策作成者にこそ落度があったと分析し、ホッジの留任を決定した。
同時に、ソ米共同委員会がアメリカの思惑通りに活動しなければやがて南朝鮮にだけでも親米単独政府を樹立するであろうとの強硬決議を採択した。
そうしたうえでいま一度ソ連と協商することにした。