朝鮮の三十八度線(77)
ソ米共同委員会の破綻(7)
そこで米行政府は、当面の政策として、ソ連との協商でアメリカの立場を強めるために朝鮮人の積極的な支持を獲得すべきだとし、そのため、もはや有名無実となった「民主議院」を解体して「立法議院」のような過渡政府を立て、できるだけ多くの朝鮮人をこれに参与させるよう指示した。
そして、米軍政は解放後帰国した政治指導者が進んで政界から「隠退」するよう誘導する一方、日本の統治時代朝鮮に残っていた人物のなかから新しい指導者をできるだけ早く選ぶことであるとし、「朝鮮の政治的見解を代表するといえず」「アメリカの目的達成に不必要な存在」である「老亡命客」を一時「隠退」させるならば、ソ米間の円滑な合意が可能であり、ひいては南朝鮮の政治勢力を大いに励ますことになろう、と指摘した(この極秘文書は三十年後に公開された)。
アメリカのいう「老亡命客」とは、金九、李承晩を念頭においたものであった。
当時金九はアメリカの占領政策に憤慨し、反米的立場をとりはじめていた。
アメリカがその追随者李承晩を除こうとしたのは、テロ分子、陰謀家の正体があらわになりアメリカの統治基盤を危うくすると恐れたからであった。
とくにソ連は李承晩には頭から反対しているため、ソ連との協商を通じて問題を解決するには李承晩を棄てるほかなかったのである。
当時まで米政府内ではソ連との戦時同盟を重んずる考え方が優位をしめており、冷戦はまだ先のことであった。