朝鮮の三十八度線(76)
ソ米共同委員会の破綻(6)
米ソ対立の増大にともなって朝鮮は分裂の傾向へと進み、北緯三十八度線は日本軍の武装解除界線ではなく、朝鮮を北と南に分ける政治的分断線として膠着しはじめた。
第一回ソ米共同委員会の中断後、南朝鮮での政治勢力関係はアメリカにきわめて不利に変化していった。
当時、李承晩は南朝鮮単独政府を樹立すると宣言し、政権の速やかな委譲をホッジに要請した。しかしホッジとアーノルドは、権勢欲に目がくらみ、陰謀とテロをこととして大衆から排撃されている李承晩に支持を与えることがはばかれた。そこでホッジは李承晩を政治的基盤とする政策の見直しを本国に要請した。
ソ米共同委員会が無期休会に入って二週間たった一九四六年五月二十二日、ワシントンではホッジの報告にもとづいて朝鮮問題を討議する国務、陸軍、海軍三省会議が開かれた。
会議では朝鮮半島の一般情勢報告についで南朝鮮の政治勢力をアメリカに有利に変えるため、反米傾向の強い金九らを除くべきだとする意見が討議された。このような討議にもとづいて国務省は、一九四六年六月六日、陸軍および海軍省の同意を得て長文の極秘文書『対朝鮮政策』をマッカーサー司令部など関係部署に送った。