朝鮮の三十八度線(75)
ソ米共同委員会の破綻(5)
ソ連側はそれに反対した。三十八度線の撤廃は悪いことではないが、当時の状態で三十八度線を撤廃し経済的統合を実現すれば、首都ソウルを掌握しているアメリカ側に主導権を奪われ、ひいてはソ連の対応力が弱まると判断し、アメリカ側の提案はモスクワ三国外相会議の決議から離脱するものだと指摘した。
ソ米共同委員会は双方の立場の根本的な差を縮めることができないまま、いたずらに論争を重ねた末、会議開催後四十八日目の五月六日に中断されてしまった。このように第一回ソ米共同委員会は実務問題にかかわる共同声明第七号までを発表することでその活動を終えた。
一九四六年五月九日、ホッジは共同委員会活動の中止と関連して「意思表示の自由」を根拠に、反信託組織を擁護する声明を発表した。アメリカは、朝鮮臨時政府を構成するための米ソ協商が決裂したのは米ソ両国が「民主主義という単語の定義で合意に達しえなかった」ため(一九四六年四月八日、マーシャルのモロトフへの書簡)だとした。
会義中断後、ホッジは、ソ米共同委員会がモスクワ決議を完全に支持あるいは反対しない政党、大衆団体だけを相手にすることを主張してはならない、という内容の書簡を、一九四六年八月十二日、ソ連軍司令官チスチャコフに送った。これにたいしチスチャコフは十月二十六日付けの回答で、ソ連代表団はモスクワ三国外相会議の決議を指針とし、今後も同決議の実現に努力するであろうと主張した。