朝鮮の三十八度線(71)

ソ米共同委員会の破綻(1)

モスクワ三国外相会議後、その決議に従って朝鮮駐屯ソ米両国軍司令部代表会議が一九四六年一月十六日から二月五日までソウルで開かれた。

会議は十五回にわたる公式会談を通じて、モスクワ三国外相会議の決議どおりソ米共同委員会を組織し、一か月以内に活動を開始することを決めた。そして、共同委員会は双方おのおの五名の委員をもって構成し、必要な数の顧問と補佐官を置くとともに、常任活動はソウルでおこなうことにした。ソ連側首席代表は、ソ連第一極東戦線軍軍事委員シュティコフ、アメリカ側首席代表は米軍政長官アーノルドであった。

金日成主席は一九四六年三月二十三日、ソ米共同委員会活動の基礎とすべき『二十か条政綱』を発表した。

それは社会の民主化と国の統一、独立をはかる真正な綱領であり、自由な繁栄する新朝鮮建設の旗じるしであった。

ソ米共同委員会の最初の会議は、一九四六年三月二十日、ソウルの徳寿宮で開かれた。

ソ米共同委員会はモスクワ三国外相会議の決議に従い、まず朝鮮の諸政党、大衆団体との協議を通じて朝鮮臨時政府の憲章と政鋼を作成し、朝鮮臨時政府を組織しなければならなかった。四か国による後見と民族の復興援助はつぎの段階の課題であった。

このような巨大かつ重要な使命を帯びたソ米共同委員会は、協議対象の選定問題で早くも意見が根本的に対立した。

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