朝鮮の三十八度線(70)
ソ米英三カ国外相会議、同床異夢(6)
一月二十六日、シュティコフ大将はソウルで記者会見にのぞみ、後見期間を十年にしようというアメリカの提案と五年に短縮しようというソ連の提案をはじめ、モスクワ会議の内容を公開した。これは、かれらだけが朝鮮の即時独立を望んでいるとして人びとを「反信託」にけしかけたホッジや米軍政に打撃を与えた。
狼狽したホッジは、シュティコフの声明が朝鮮人にアメリカがかれらを「売った」と悟らせる恐れがあり、アメリカを極めて困難な立場に追い込むであろうという手紙を国務省へ送り、さらに朝鮮で偽善者の烙印を押されたアメリカの面目をほどこすために、必要なら「いけにえ」として自分を解任することにも同意するという手紙をマッカーサーに送った(『朝鮮における米軍の歴史』八九~九二ページ)。
アメリカは一九四六年二月十四日、軍政顧問会議を解散し反信託勢力を根幹にして南朝鮮「民主議院」を組織し、議長に李承晩、副議長に金九と金奎植、そして委員には韓国民主党など極右系人物を任命した。
米ソの政策上融合しえない矛盾によって、モスクワ三国外相会議の決議を実行するソ米共同委員会は暗礁に乗り上げた。