朝鮮の三十八度線(69)
ソ米英三カ国外相会議、同床異夢(5)
アメリカは李承晩の「反信託」を「南朝鮮人自身の運動」であると宣伝した。アメリカの支持のもとに、李承晩は「反信託」のスローガンをかかげて反共勢力を結集した。右翼出版物は信託がソ連の要求で決められたが、それは朝鮮にソビエト制度を樹立するためのものだ、と騒ぎ立てた。三国外相会議の朝鮮問題決議の「五年間の四か国による後見」問題は、部分的なものにすぎない。しかし右翼反動勢力は朝鮮の独立と自由を保障した決議の全般的内容に反対するために、この部分的側面を利用したのである。
戦後朝鮮問題にかかわるモスクワ三国外相会議の決議は、朝鮮の政治地図で進歩と反動、愛国と売国の界線を明白にした。
モスクワ三国外相会議の決議と関連してアメリカがとった態度にソ連は憤慨した。一九四六年一月二十二日のタス通信は、アメリカ人は米政府も参加したモスクワ外相会議の決議に背いて反動的示威を助長した、と報じた。またスターリンは、一九四六年一月二十三日、別れの挨拶に訪問した駐ソ米大使ハリマンに、昨年の十二月、モスクワ会議で四列強による後見計画を作成したが、在朝鮮米代表が早くも合意に背いているという情報を入手した、アメリカ人はソ連人だけが朝鮮の後見管理を喜んでいると言いふらしているというが、実際にはそれはルーズベルトが最初に持ち出したものだ、と指摘した。そして、後見制は決してアメリカよりソ連政府にもっと必要なものではない、もし両国が必要だと認めるならば、後見制を廃止してもよい、と言った(『特使、チャーチル、スターリンとの外交戦』第二巻、朝鮮語版六一九ページ)。ところが当時ホッジは、後見制がソ連によって提起されたかのように事実をねじまげ、李承晩を反ソキャンペーンへとけしかけたのであった。