朝鮮の三十八度線(68)
ソ米英三カ国外相会議、同床異夢(4)
李承晩をはじめ極右民族主義者は、モスクワでソ連の主張により「五か年朝鮮信託統治案」が決定されたと歪曲宣伝し、信託反対総動員委員会を組織した。アメリカは、かれら自身の主張でモスクワ三国外相会議の決議に後見制を含めながらも、「四か国の信託統治がおこなわれてもソ連が朝鮮の内政で主導権を握るであろう」とし、「反信託」をあおりたてた。
李承晩はモスクワ外相会議決議に英語原文でtrusteeshipと書かれた意味の曖昧な単語を「信託統治」と訳して通用させた。「信託」という言葉は、信用して「財産の管理を委ねる」という民族的概念であり、「信託統治」は「国家主権を他国に委託した統治」という意味になる。
しかしモスクワ三国外相会議決議原文は、「国家の統治権を他国に委ねる」とはしていない。したがって上記決定でソ連側は、опекаという単語を使い、それが後見制であることを明白にした。政治的意味における後見制は、他人の世話をするという民法的概念が国際関係分野で一つの制度として使われるようになったのである。英露辞典はtrusteeshipとопекаを同一の語彙として扱っている。朝鮮語では「後見制」は保護的な概念が強く、「信託統治」は支配的な概念が強い。
李承晩はモスクワ三国外相会議の決議の進歩的な側面はすべて無視し、独立にたいする援助、協力の手段として指摘された一つの単語の意味を歪曲誇張して、それを反動的騒動の根拠とした。二十五年前にアメリカに朝鮮の「委任統治」を要請した李承晩が、今度は「反信託運動」をくりひろげたのである。李承晩がかかげた「信託統治反対」という愚劣なスローガンは、戦後朝鮮問題の解決に故意に障害をつくりだし、民主的政党・大衆団体を排除して朝鮮臨時政府の権座につこうとするためのものであった。