朝鮮の三十八度線(61)

一九四五年、失望と危機の年(5)

南朝鮮で、米軍は朝鮮人民の創意になる人民委員会を認めなかった。

日本帝国主義の敗亡が目前に追った八月十三日、朝鮮総督阿部信行は、呂運享(リョウンヒョン)を訪ねて朝鮮の治安維持を要請した。そこには日本人の安全保障も考慮に入れられていた。呂運享は一年前に組織した建国準備同盟に依拠して治安権を譲り受けるとともに、刑務所に監禁中の愛国者を釈放させた。その後、かれはただちに人民委員会の組織を呼びかけた。それに従って、米軍の進駐前に釈放された愛国者によって社会秩序が維持されるとともに独立政府の樹立をめざす自治機関人民委員会が組織され活動した。八月三十日、地方人民委員会の数は百四十五に達したが、それらは日本警察の武装を解除して自衛組織をつくり、日本人の企業を接収し親日派を追放するなどの活動をおこなった。

米軍の占領前に南朝鮮ではすでに七十余の政治組織がつくられ、大衆の民主主義志向意識は大きな高まりを見せていた。

こうして解放後わずかのあいだに南朝鮮の左翼的民主勢力は、政治情勢発展を主導し、ファッショ勢力と民族反逆者は政治勢力としての存在を失っていた。

九月八日、ソウルに進駐した米軍は朝鮮人民の自治機構を否定して日本帝国主義の朝鮮総督府の機能維持を宣布し、南朝鮮人民の怒りを招いた。米軍はあわてて日本の総督政治を取り止め、米陸軍少将アーノルドを長官とする米軍政庁の設置を発表した。アーノルドは、九月九日、朝鮮総督府庁舎に入り、総督府の日本人官使たちは九月十五日に解任されて米軍将校が入れ替わった。南朝鮮の立法、司法、行政などの全権力を陸軍少将アーノルドとその指揮下の佐官クラス、尉官クラスの将校が掌握したのである。

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