朝鮮の三十八度線(60)

 

一九四五年、失望と危機の年(4)

アメリカは日本でも天皇制を存置し、天皇裕仁ら戦争犯罪人を利用していた。

アメリカは、南朝鮮で日本の戦争政策に協力した朝鮮人、親日朝鮮人官吏をその政治的基盤に引き入れはじめた。ホッジは、なによりも以前日本に服務した朝鮮人による警察機構の創設を主張した(『第三回国連総会総括報告』付録九『国連朝鮮臨時委員団の報告』一七二ページ)。こうして李承晩系の趙炳玉(チョビョンオク)を長とする米軍政警察機構が組織された。国連朝鮮臨時委員団がひかえめに発表した資料によっても、初期すでに米軍政警察は日本の警察に服務した朝鮮人の八五%を引き入れている(同上一四七ページ)。

アメリカは「対日協力者の追放」指令を発表したが、実際に追放された者は一人もいなかった。かれらは親日ファシストを追放したのでなく、南朝鮮人民が組織した人民委員会を解散させ、これに抗議する者は処罰すると威嚇し、九月七日、マッカーサー布告第二号を発表した。

「…降服文書の条項、もしくは米太平洋軍総司令官の権限のもとに発せられる布告、命令、指示に違反し、アメリカもしくはその連合国の国民または財産の秩序、生命、安全、治安を害する行為におよび、公共の安寧秩序を乱さんとする行為におよび、正義のおこなわれることを妨げ、あるいは連合軍にたいして故意の敵対行動に出る者は、軍事占領裁判所の有罪判決を得て、死刑その他同裁判所の決定する刑罰に処せられる」(朝鮮民主主義人民共和国外務省『朝鮮問題参考文献集』第一分冊、平壌、一九五四年、八ページ)

南朝鮮では日本のファッショ政治が新しい形態で維持され、親日民族反逆者が親米派に早変わりして息を吹き返した。

ソ米両国は朝鮮の民族自決問題でも相反する立場をとっていた。それは朝鮮人民の主権問題で明らかになった。

北朝鮮に進駐したソ連軍司令部は、解放直後朝鮮人民の創意によって組織された人民委員会を公式の自治機関として尊重した。ソ連軍が平壌に進駐した二日後の八月二十五日、チスチャコフは、朝鮮人がつくった人民委員会を尊重し、人民委員会が日本帝国主義総督統治の行政権を譲り受けるのを支持すると声明した。十一月末まで北朝鮮では六つの道の市、郡、面、里に人民委員会が組織された。また金日成主席の指導のもとに、一九四五年十一月十九日、北朝鮮各道人民委員会連合会議が開かれ、北朝鮮全地域の経済的連係を実現し、社会秩序を維持するための行政十局が組織された。そして一九四六年二月八日には、金日成主席を首班とする北朝鮮臨時人民委員会が組織された。北朝鮮で朝鮮人民は権力を握り民族自決の権利を行使しはじめたのである。

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