朝鮮の三十八度線(55)
 

目的はなんだったか(2)

アメリカが北緯三十八度線を設定した目的はつぎに、日本単独占領をはかって、それをソ連との取り引き材料にすることにあった。

一九四四年五月、米国務省は公式文書で、日本本土占領は対日参戦同盟諸国がおこなうと指摘していた。ポツダム宣言でもアメリカは戦敗国日本をドイツ同様連合諸国の占領下に置くことを認めていた。

しかし、日本にたいする列強諸国の共同占領がアメリカ人の本意でなっかたことは、ポツダム会談当時に露呈した。ポツダム会談のさいスターリンは、日本敗北後のつぎの会談を東京で開くべきであるとし、戦後対日管理にソ連が参加する意向をほのめかす意味深長な発言をした。トルーマンは返事を避けたが、それはかれが戦後、日本を単独占領する決心であったことを示唆している。

アメリカは八月九日、ソ連が対日宣戦布告をすると、急いで日本にたいする立場を表明し、米軍だけが日本本土に進駐すること、日本をドイツのように連合国の占領地域に分割しないことを関係諸国に通告した。日本が降服を宣布した翌日の八月十六日、トルーマンは記者会見の席上、日本をドイツのように連合国の占領区域に分割せずアメリカ単独の統制下に置くと重ねて確言した。そしてアメリカは、日本占領軍最高司令官を二人制にしようというソ連の提案を拒否した。

しかしアメリカとしては、ソ連がアメリカの日本単独占領に強く反対する事態を予想しないわけにいかなかった。それはソ連が対日戦勝国として日本の占領と戦後管理に参加しうる合法的な権利を持っていたからであった。そこでアメリカは、朝鮮に北緯三十八度線を設定し、ソ連がアメリカの日本単独占領にあくまでも反対すれば、北緯三十八度線案を「譲歩」する「代償」として日本単独占領を成就しようともくろんだのである。アメリカの北緯三十八度線案はソ連との対決において日本単独占領権を認めさせるための一つの予備案であり、取り引きの材料であった。ところが、驚くべきことにソ連はそれに同意したのである。

アメリカは朝鮮の北緯三十八度線案によって以上のような二つの政治的目的を達成しようとはかったが、それは米行政府の核恐喝政策と深くかかわりあっていた。

トルーマンは、第二次世界大戦末期、情勢が変化しはじめると戦後の「戦利品」分配で制約を受けないために、ソ連との戦時同盟関係を破綻させ対決政策をとった。アメリカのこうした対決政策は、米軍儒独占体が一九四五年上半期他国より先に原子爆弾の開発に成功したときにうちだされた。トルーマンはアメリカが世界の動きにたいする指導を引き受けなければならないとして世界制覇をめざす対外政策を宣布し、対ソ関係も戦時にはアメリカが一方的に譲歩する性格を帯びていたが、これ以上そうすることはできない、もしロシア人がわれわれの要求に応じなければ多弁を費やすことはないとして、もっぱら核恐喝政策をふりかざした。

ルーズベルトは国連を設立し本部をアメリカに置く問題を解決するためスターリンと合作、協商したが、トルーマンはそうした構想から脱却しようとした。

ポツダム会談と前後した時期に発生したソ米間の鋭い矛盾関係はこれに起因していたのである。アメリカはソ連が東欧諸国で親ソ勢力を一方的に支持しているとして、冷戦に踏みきった。ヨーロッパに発生した冷戦は、アジアの政治舞台にも波及した。アジアでは連合国首脳会談さえ開かれなかった。

これまで見てきたように朝鮮の北緯三十八度線は第二次世界大戦が終結したころ、勢力圏争奪に乗り出したアメリカとソ連が一時妥協する過程に生まれた不遇な申し子であった。

日本が降服したとき、朝鮮をめぐる列強諸国の外交上の対立は、朝鮮の国土と民族を両断することで幕を閉じたのである。

 

 

 

 

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