朝鮮の三十八度線(54)
目的はなんだったか(1)
北緯三十八度線を朝鮮の分割線とする問題は、一度も国際間の討議にのぼらなかった。北緯三十八度線は降服した朝鮮駐屯日本軍を武装解除するための軍事作戦上の任務を分担した界線として臨時に設定されたものにすぎず、朝鮮の領土と住民を引き裂くための界線ではなかったのである。
朝鮮半島に北緯三十八度線設定を命じた米大統領トルーマンは、三十八度線の問題は日本の戦争機構が突然崩壊して朝鮮に真空状態が生じたとき、実際の解決策として提案されたものであって、たんに日本軍の降服を受理するためのものであったとし、今後共同管理の道が全半島に開かれるものと期待したと述べている(『トルーマン回顧録(2)試練と希望の年』三一七ページ)。
トルーマンの言う「共同管理」とは米ソ英中による後見制を念頭においたものであった。トルーマンの説明の背景には、朝鮮における勢力圏拡張をはかるアメリカの政治的野心があった。
米軍が北緯三十八度線を設定した真の目的は、まず、第二次世界大戦直後西太平洋諸島に限定されていた「自由世界」の界線を大陸に押しあげることにあった。
アメリカは、当時、東北アジア三か国中、日本はアメリカが単独で占領し、国民党中国は反共の保塁とすることを計画したが、朝鮮にたいしては事実上「空白」として残していた。しかし、アメリカは「空白」地帯が社会主義化するのを許すことができず、その阻止線として三十八度線を設定したのである。
ワシントン大学助教授ブルース・カミングスは、北緯三十八度線に境界線を引いたのはソ連の半島南部への南進を防ぎ、首都ソウルをアメリカの手に収めて境界線がソウルの北方にあることを確認し、できるだけ広い領土を占拠するためであったと指摘している。
アメリカは朝鮮半島が共産化すれば、親米的な国民党中国とアメリカの将来の同盟者日本のあいだに反共的なきずなを結ぶことに支障をきたすと憂えたのであった。そして朝鮮におけるそうした事態の発展を防ぐもっとも信頼性のおける方途は、朝鮮半島に米地上軍を進駐させることであると考えた。当時アジア大陸のどこにも足場をもっていなかったアメリカは、第二次世界大戦末期ソ連の極東に米軍基地を設けようとしたが、ソ連側に拒否されて実現できなかった。こうした状況のもとで、アメリカは朝鮮半島を橋頭堡にすることをとくに重視したのであった。
軍事的見地からして、もし朝鮮半島に戦術空軍の発進基地を置くならば、その行動半径は極東全域をカバーすることになり、とくにウラジオストックに基地を置くソ連太平洋艦隊を制御できるのである。朝鮮全土を手に収めることができないならば、朝鮮の南部だけでも占拠しようとアメリカが執拗に策動したのは、以上のような政治的・軍事戦略的目的からであった。アメリカは北緯三十八度線に境界線を引けば、朝鮮、中国、日本をカバーする地域に「自由世界」を形成しうると見たのであった。