朝鮮の三十八度線(53
 

米ソ妥協の申し子(5

ソ連政府は八月十五日、アメリカ側が提起した日本軍の武装解除地域分担案―連合軍最高司令官の一般命令第一号草案を検討した。

スターリンはトルーマンにあてた八月十六日付けの書簡で、米国案に大筋において異見がないとし、クリル列島と北海道の北部半分をソ連軍の占領地域に含めることと、日本占領連合軍最高司令官にマッカーサーのほかにソ連のアントノフを任命して二人制にするよう提案した。しかし、トルーマンはスターリンへの返書で、ソ連軍のクリル列島南部進出に同意しながらも、クリル列島にある航空基地をアメリカに提供するよう要求した。そして、クリル列島はソ連の領土でなく日本領土であると認めると述べた。トルーマンはまた、連合軍最高司令官を米ソ二人制とする提案に反対した。

アメリカ側が提起したクリル列島の航空基地問題についてソ連は、もしも互恵の原則でアメリカ側がアリューシャン列島にある米軍飛行場へのソ連民間航空機の乗り入れを認めるならば、ソ連もクリル列島の一飛行場に米民間航空機の着陸を認めるであろうと述べた。こうして飛行場提供問題は双方がともに撤回した。米ソ間のこのような協議過程を経て発表された連合軍最高司令官の一般命令第一号は中国(満州除外)、台湾、北緯十六度線以北の仏領インドシナにいる日本軍は国民党中国軍司令官が、満州、北緯三十八度線以北の朝鮮、サハリン、クリル列島の日本軍はソ連極東戦線軍司令官が、ビルマからソロモン群島にいたる地域の日本軍は英国軍司令官が、日本大本営、日本本土とそれに隣接した各小島、北緯三十八度線以南の朝鮮、琉球諸島、フィリピン群島の日本軍は米太平洋陸軍司令官が降服を受けると規定した(『朝鮮関係条約集』三五二ページ)。

ソ米両軍は合意事項にもとづく軍事行動を開始した。スターリンは合意に達した一般命令第一号にもとづく作戦遂行を第一極東戦線軍に命令した。そこで第一極東戦線軍の最左翼にいた第二五軍司令官チスチャコフは、八月十八日、主力部隊の先陣を汪清、長春付近から南進させた。しばらくして第二五軍の先陣は朝鮮に進入した。

他方、米軍司令部は日本政府との直接無電交信によって降服問題を協議した。当時日本では、日本の降服とともに鈴木戦時内閣が辞職し、皇族出身の東久邇稔彦を首班とする内閣が成立して連合国側の命令を待機していた。

八月十九日、日本軍参謀次長陸軍中将河辺虎四郎を全権委員とする代表団がマッカーサー司令部に呼び出されて一般命令第一号とその実行と関連した指示を受けた。指示には米軍の日本進駐、日本軍兵力の基幹部隊の処理、天皇制の存置など日本をアメリカに従属させるための一連の具体的な問題が含まれていた。マッカーサーは太平洋にいたホッジの第二四軍団に朝鮮駐屯を指示した。

米軍は日本が敗北し日本軍の抵抗が完全に終息した八月下旬になって、四百隻の軍艦と千三百機の航空機の掩護のもとに、日本沿岸に機動し、八月二十八日、日本上陸を開始した。

日本降服文書の調印は、一九四五年九月二日、東京時間の十時三十分、東京湾に停泊中の米戦艦ミズーリ号上でおこなわれた。天皇と政府を代表して外相重光葵、大本営を代表して参謀総長梅津美治朗がそれぞれ降服文書に署名した。

また連合軍最高司令官の名でマッカーサーが、アメリカを代表してニミッツが、ソ連を代表してデレビャンコが、中国国民党を代表して徐永昌が、イギリスを代表してフレーザーが署名し、そのほか日本に宣戦したフランス、カナダ、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドの各代表もそれぞれ署名した。こうして悪虐な軍国主義日本はその存在を終えた。

日本が降服文書に署名した九月二日、マッカーサーは一般命令第一号を公布した。朝鮮が解放されてから二十三日が過ぎた九月七日、米軍先遣隊は仁川に上陸した。九月八日には沖縄占領米第二四軍団の二個師団四万五千名がホッジ指揮下に釜山に上陸し、九月九日、ソウルに入った。米軍はひきつづき南朝鮮全域に進駐した。

米ソ両軍の南北朝鮮進駐によって、朝鮮は二つの地域に分断された。その後半世紀も越える朝鮮分断はこうしてはじまったのである。

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