朝鮮の三十八度線(50)
米ソ妥協の申し子(2)
日本帝国主義のポツダム宣言受諾通告は中国にも伝達された。
日本政府は連合国側に送った最初の通告で、ポツダム宣言を受諾するとしながらも、この宣言に天皇の特権を制限する要求が含まれていないものと了解するとの条件を付けた(『プラウダ』一九四五年八月十一日)。
これは無条件降服と軍国主義撤廃にかんする要求をかわし、懲罰を免れようとする戦争犯罪人たちの最後のあがきであった。これについてアメリカは、八月十一日、国務長官バーンズの名で日本側に回答を送り、日本の無条件降服後天皇と日本政府の統治権は連合軍最高司令官命令に従属するという立場を表明した。
これを受けた日本ファッショ支配層は閣議と最高戦争指導会議をあいついで開き、討議を重ねた末、十四日ポツダム宣言を無条件受諾することを連合国側に通知することに決定し、二度目のポツダム宣言受諾通告をスイスを介して連合国に伝達した。
急変する戦局を前にアメリカは焦燥に駆られた。
当時ソ連軍はすでに朝鮮の北部国境線で作戦を遂行していたが、米軍はまだはるか南太平洋上で足踏みをしていた。日本の降服受諾通告を受けたトルーマンは、八月十一日午前、国務長官バーンズ、陸軍長官スティムソン、太平洋海軍司令官ニミッツをホワイト・ハウスに集め、急変する極東地域情勢に対処する対策を協議した。
協議会では日本の降服受諾問題、日本軍武装解除のための列強の分担地域をアメリカに有利に設定する問題、極東問題と関連した連合国の協商にアメリカの勢力圏を拡大するための提案をする問題などが主に討議された。バーンズはアメリカが朝鮮全域で日本軍の降服を受理し、自国の勢力圏をできるだけ北方に拡大すべきであると主張した(『トルーマン回顧録(2) 試練と希望の年』三一七ページ)。
当時モスクワにいたトルーマンの特使パウリと駐ソ米大使ハリマンも、十二日、ソ連が強硬な立場をとることを予想し、トルーマンと国務省に、日本軍の降服を受理するため米軍が即時朝鮮と満州に上陸すべきであるという意見を出した。ハリマンは報告で、ソ連の軍事作戦地域であっても米軍がそれにこだわる必要はないという見解を示した(『トルーマン回顧録(1) 決定の年』四三三~四三四ページ)。
有利に急転回する情勢はアメリカの政治家たちの膨張欲をかきたてた。しかし、軍部は、バーンズやハリマンが提起したように米軍ができるだけ北上してより広大な地域を占拠するだけの実際上の力がないことを自認していた。トルーマンも回顧録でバーンズが出した意見を実践に移す問題は、地理的に遠く、軍隊が不足しているという二つの克服しがたい障害にぶつかったと書いた(『トルーマン回顧録(2) 試練と希望の年』三一七ページ)。