朝鮮の三十八度線(49
 

米ソ妥協の申し子(1

ソ連の対日参戦によって太平洋戦争の基本戦線が南太平洋から大陸に移り、数日後関東軍があっけなく壊滅すると、主戦派の日本軍部も降服を決意せざるをえなかった。そのころ日本軍国主義者の最大の関心事は、日本の敗亡そのものよりも敗戦後懲罰を免れることと軍国主義の地盤を温存することであった。

天皇制の存置で意見が一致した日本支配層は、ポツダム宣言の無条件降服要求をゆるめ天皇制の維持を認めさせるための方途を模索し深刻な論議をつづけた。なかには本土決戦を主張する者もいたが、大勢は降服受諾に傾いていた。

ソ連の対日宣戦布告があった八月九日夜から翌早朝にかけて、東京の宮城内防空壕では最高戦争指導会議が開かれた。かれらは対米交渉の経過を分析し、アメリカ側がポツダム宣言の執行にゆとりをもたせており、なによりも日本の早期降服を望んでいるという結論を引き出し、降服を最終的に決定した。

日本支配層は赤軍が接近する前にポツダム宣言を受諾して米英にすがるならば、日本の国体護持が可能であること、それに敗戦後左翼勢力の懲罰を受けるよりは、アメリカに投降してその庇護を受ける方がよいと判断した。こうして日本政府は「天皇の国家統師権に変更がないものと了解する」との条件をつけてポツダム宣言の受諾を通告することに決定した。

八月十日、日本政府は中立国スイスとスエーデン政府に、日本の降服決定を米英中連合国側に伝達することを依頼する外交措置をとった。そして、同日午前日本外相東郷茂徳は国会の密室で、まだ本国に引き揚げる時間がなっかた駐日ソ連大使マリクと会い、日本の降服を通告した。この面談はもともとマリク大使がソ連の対日宣戦布告を通告するために要請したものであったが、ここで日本政府の降服決定を知らされることになったのである。

東郷茂徳はソ連大使に、天皇の地位問題にかんする日本政府の立場を連合国の一員であるソ連を通して米英側に伝える方が、第三国を介するよりも早いことを考慮し、このような措置をとったと述べ、スイスとスエーデンに送るものと同じ文面のポツダム宣言受諾通告(英文)を手渡した。このように交戦双方間に宣戦布告文書と降服受諾文書が同じ場所で交換された事例は歴史上例のないことである。

マリクは日本の降服について即時ソ連外務省に報告し、モロトフは十一日早朝、これをモスクワ駐在米英両国大使に通報した。このときモロトフは、日本が天皇制の地位についての条件をつけているが、その真意が疑わしいのでソ連軍は進撃をつづける、それは条件付き降服を企図する日本への具体的な回答であると言明した。

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