朝鮮の三十八度線(46)
 

北緯三十八度戦―最初の公式記録文書(4)

ソ連の宣戦布告は朝鮮の愛国者をはじめアジア反ファッショ勢力の全幅的な支持を受けた。十日、モンゴル人民共和国も日本に宣戦した。中国人民解放軍総司令朱徳は、ソ連政府の対日宣戦を歓迎し、日本侵略者を撃滅するために、赤軍をはじめ連合国軍と肩を並べて戦う意志を表明する電文を送った。
ソ連極東軍は、ワシレフスキー元帥の指揮下に一九四五年八月九日午前零時(ザバイカル戦線の現地時間)、東部、北部、西部三方面の全戦線で満州の中心部に向け一斉に総攻撃を開始した。赤軍は零時十分ソ連国境を越えた。
ソ連軍の攻勢が開始された当時、満州をはじめ東北アジア地帯では朝鮮、中国、モンゴル人民の反日戦争が熾烈にくりひろげられていた。
とくに関東軍の拠点満州一帯では偉大な金日成主席の指揮のもとに朝鮮人民革命軍部隊が対日作戦をおこなっており、中国本土では中国人民解放軍が大規模な抗日戦争をくりひろげていた。モンゴル人民革命軍部隊は赤軍の攻撃に合流した。
東北アジア地帯における朝鮮人民革命軍など各民族部隊の反日武装闘争は、攻撃を開始したソ連軍が日本軍主力を迅速に撃滅する裏づけとなった。
ソ連の対日戦の基本的戦略は、モンゴルの東南突出部から東南方に攻勢をかけるマリノフスキー元帥指揮下のザバイカル戦線軍と、沿海州のウスリースク地域から西方に攻勢をかけるメレツコフ元帥指揮下の第一極東戦線軍が、関東軍を東西から挟撃し、かいらい満州国の首都長春付近で包囲殲滅するというものであった(『極東における勝利』朝鮮語版三二ページ)。
このほか、敵軍兵力の分散をはかって、北の沿海州地方からプルカエフ大将指揮下の第二極東戦線軍を南進させ二つの戦線軍の関東軍殲滅作戦に協力する補助打撃方向も設定された。
ソ連太平洋艦隊の任務は、敵の海上兵力の動きを遮断して予備隊の投入と関東軍の本国への退却を妨げることにあった。ソ連軍は作戦計画にもとづいて積極的な攻勢をとり、八月十一日、穆稜を解放し、十五日には関東軍第一方面軍司令部の所在地牡丹江市を解放した。
日本の「難攻不落の防御線」は瞬時に崩壊した。開戦六日目に第一極東戦線軍は、ソ満国境の関東軍集団を圧迫しながら満州内部に進撃し、第二極東戦線軍は小興安嶺を超えハルビンとチチハルに到達した。ザバイカル戦線軍は大興安嶺を超え関東軍の後方深く進出した。

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