東明王と東明王陵
高句麗の始祖東明王は前298年に生まれ、幼少年時代から武芸特に弓術に長けていた。本名は高朱蒙である。朱蒙は弓術の名人という意味を持つ名である。建国後19年間国を治め、前259年9月、世を去った。死後彼には東明聖王という名がおくられた。
427年、高句麗が2度目の首都国内城(中国吉林省集安)から平壌へ遷都した際、東明王の墓も現在の平壌市力浦区域に移された。
東明王の誕生2290周年に当たる1993年5月に改築された東明王陵は王陵区域、定陵寺区域、臣下の墳墓区域からなっている。東明王の墳墓基壇の1辺の長さは34mであり、玄室は東西4.21m、南北4.18m、天井の高さは3.88mで、壁と天井には蓮華文が描かれている。
王陵の周辺には、高朱蒙と共に建国に尽くした忠臣の墓15基がある。
定陵寺は東明王の冥福を祈って建てられた寺で、敷地面積は3万7000㎡である。