檀君と檀君陵

 

檀君はかつて神話的存在として知られ、檀君朝鮮も伝説として語られていた。

それは古くから朝鮮人たちが檀君を神聖視し崇めていたことにもあるが、それ以上に、朝鮮を占領(1905~1945)した日本帝国主義の檀君抹殺策動に関わっていた。

社会主義朝鮮の始祖金日成主席は、民族史のさまざまの出来事についての未解明の、あるいは誤った見解を正し、檀君についても研究を深めるよう数度にわたって教示した。

こうして檀君陵からその遺骨と遺物が発掘され、檀君が 5011±267年前(1993年2月調査)に生まれた実在の人物であったことが解明された。

檀君は平壌江東地方に居住していた種族の酋長の子で、幼少年時代から武芸に励んだと伝えられている。父の死後25歳で酋長になった彼は、原始共同体社会の政治機構を改めて権力機関を組織し、朝鮮最初の奴隷制国家古朝鮮を打ち立てた。

遺骨を鑑定したところでは、彼は60歳を越える年まで生きた、当時としては希な長寿者であった。

檀君陵は、1994年10月、江東郡文興里大朴山の麓に雄壮に建て直された。

の敷地面積は45haで、改造記念碑区域、石人像区域、墳墓区域からなっている。

の築造に使用された石は、1994個、最大のは21tの重さを持ち、陵底面の1辺りの長さは50m、高さは22mである。の後ろ側に1.2t強の3つの石門があり、玄室には檀君夫妻の遺骨が特殊透明ガラス製の棺に納められている。

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