高朱蒙はどんな人物ですか?
高朱蒙は幼少の頃から知能に優れ、自製の弓矢で弓術に励み、百発百中の名射手として知られました。
当時扶余では弓の名人を「朱蒙」と呼ぶ習わしがあり、人々は彼を朱蒙とたたえ、これが本名となりました。
扶余王の7人の息子は朱蒙の抜きんでた才能と武術を妬んで扶余王にざん言し、朱蒙を亡き者にしようと企みました。
朱蒙は志を同じくする友の烏伊(オイ)、摩離(マリ)、陝父(ヒョッホ)らとはかって扶余を去り、追撃してくる兵を撃破し、南方の地へ向かいました。
句麗に至った彼は、当地で地盤を固め、句麗王の没後王位を譲られて国号を高句麗と改めました。
高句麗の始祖王高朱蒙は、後に、東明聖王と呼ばれました。