アメリカはテロ王国(5)
「韓」半島テロの凶悪犯(2)
第二に、アメリカは六・二五戦争の三年間、南北全地域で民間人殺害を悪辣に強行したテロ犯の典型である。
国際法には、戦時であっても「平和的住民にたいする攻撃と殺害を禁止」し、「民間人をしっかりと保護する」ことが明文化されている。
にもかかわらず、米第八軍司令官ウォーカーは仁川(インチョン)上陸作戦の際、米軍兵士に、相手がたとえ子供や老人であっても手を震えさせてはならない、殺せ、容赦なく殺せ、という殺人テロ命令を下した。
米侵略軍は、一九五〇年の夏から一九五一年の夏までの一年間に南朝鮮地域で、一つの戦争における犠牲者を上回る百万以上の民間人を無惨に殺した。
光州(クァンジュ)で米軍のダムダム弾によって死んだ三千余名の子供を埋葬した墓が発見された。(『ニューヨーク・タイムズ』 一九五〇年九月二十四日付)
航空隊の爆撃と地上の重火器の挟撃作戦によって四百余名の良民を殺害した忠清(チュンチョン)北道永同(ヨンドン)郡老斤(ログン)里テロ虐殺事件をはじめ、一九五〇年八月二十二日に慶尚(キョンサン)南道宜寧(イリョン)郡龍徳(リョンドク)面の百数十名の住民を虐殺した爆弾テロ事件、一九五一年に忠清北道丹陽(タンヤン)郡永春(ヨンチュン)面の三百余名の住民を殺害した爆弾テロ事件など、その例は枚挙にいとまがない。
米侵略軍が南朝鮮の各都市で強行した民間人テロ虐殺は、なんと凄惨なものであったことか。春川(チュンチョン)で三万余名、扶余(ブヨ)で二千余名、清州(チョンジュ)で二千余名、忠州(チュンジュ)で二千六十名、大田(テジョン)で八千六百四十四名、全州(チョンジュ)で四千余名、群山で四百余名、安養で四百余名、統営(トンヨン)で八百余名、公州(コンジュ)で六百余名、平沢(ピョンテク)で六百余名、仁川で五万七千二百余名、安城(アンソン)で五百余名、鳥致院(チョチウォン)で百五十八名、ソウルで七万二千三百九十余名を虐殺した。(『韓米関係三十年』 一九七六年版 二〇二~二〇三ページ)
このように、六・二五戦乱期には南朝鮮地域だけでも数百万の良民が軍事テロの犠牲者となった。
米軍が北朝鮮地域を一時占領した時期に強行した民間人虐殺テロは、その手法と規模において悪質の極みであった。
信川(シンチョン)郡では郡民の四分の一に当たる三万五千三百八十三名、安岳(アンアク)では一万九千七十二名、松禾(ソンファ)では五千五百四十五名、殷栗(ウンリュル)では一万三千余名、平山(ピョンサン)では五千二百九十余名、海州(ヘジュ)では六千余名、平壌(ピョンヤン)では一万五千余名、南浦(ナムポ)では千五百十一名、江西(カンソ)では千五百六十一名、安州(アンジュ)では五千余名、价川(ケチョン)では千三百四十二名、博川(パクチョン)では千四百余名が虐殺された。(『駐韓米軍の行跡』 一九八九年版 一〇三ページ)
銃で撃ち殺し、毒ガスで窒息死させ、手足を縛って水中に突き落として殺し、生き埋めにして殺し、焼き殺し、立坑に突き落として殺し、牛車で四肢を引き裂いて殺し、のこぎりで顔面を切り、額に釘やかすがいを打ち込み、眼球をくり抜き、鼻や耳をそぎ落とし、乳房をえぐり取って殺し、妊婦の腹を裂いて胎児を踏み殺し、陰部に杭を打ち込んで殺し……。
地上戦で細菌・化学テロ戦を強行してもなお飽き足らず、巨済(コジェ)島の沖合に細菌実験専用船『一〇九一』号を停泊させ、海上においても人民軍捕虜を対象に毎日三千回以上の人体実験をおこなったアメリカの野獣たち。かれらの戦争犯罪行為は、その手法と規模において史上類を見ない軍事テロであった。