朝鮮の三十八度線(99)
朝鮮問題と国連(5)
第二次世界大戦の結果とられたこうした地域的協定があるかぎり、そしてそれを実行するためのソ米共同委員会という協議機構が存在する以上、朝鮮問題は明らかに国連の権限に属する問題ではなかった。
しかし当時国連はアメリカにすこぶる有利に構成されていたうえ、初代国連事務総長トルグベ・リー(ノルウェー人)は、国連のすべての政策をきわめて親米的な方向へと導いた。
アメリカはこのような国連を利用して、ソ連との協商を無視し多数をもってソ連を牽制した。
国連朝鮮臨時委員団はオーストラリア、中国(国民党)、カナダ、エル・サルバドル、フランス、インド、フィリピン、シリア、ウクライナの代表で構成されたが、ウクライナは朝鮮問題討議への参加を最初から拒否していた。
一九四八年一月十二日、国連朝鮮臨時委員団はソウルに入り、人口比例制選挙を実施するための「自己の活動」を開始した。
「委員団」の常設委員長にはメノン(インド人)が選ばれた。
ソ連は国連で朝鮮問題を討議すること自体が非法であると宣言し、アメリカ側決議案「朝鮮独立問題」の票決をボイコットし国連朝鮮臨時委員団の存在を認めなかった。
したがってソ連は、国連事務総長が国連駐在ソ連代表グロムイコを通して提起した朝鮮駐屯ソ連軍側代表チスチャコフへの国連朝鮮臨時委員団の表敬訪問要請を拒絶した。
臨時委員団は北半部に入ることができなくなり、朝鮮分断の危機は現実的なものとなった。