朝鮮の三十八度線(95)
朝鮮問題と国連(1)
連合国の戦時同盟が生んだ国連は、戦後、社会主義と資本主義のきびしい思想的・政治的対決場に、冷戦外交の舞台に変わった。
民主勢力は国連が活動を開始した初期から、この機構の使命であるはずの世界平和と安全の保障にかんする根本問題で、いかなる合意もなされえないことを痛く経験した。このような葛藤は朝鮮問題でとくに著しく現れた。
一九四七年七月にはじまった中国人民解放軍の全面的反撃によって蒋介石国民党政府が崩壊に直面すると、アジア大陸での地盤喪失を恐れたアメリカは、朝鮮半島により大きな戦略的意義を認めた。そうして国連における朝鮮問題の討議は最初から険悪な雰囲気のなかでおこなわれた。
一九四七年九月十七日、米国務長官マーシャルは、第二回国連総会で、朝鮮の独立が二年余にわたって遅延した責任をソ連に転嫁し、アメリカ側の朝鮮問題決議案を提出した(『朝鮮問題参考文献集』第一分冊五六ページ)。
ソ連代表団団長ヴィシンスキーは、マーシャルの発言に反論し、朝鮮問題は戦争の直接の所産であるため、国連は憲章の要求にてらしてこの問題と関連するいかなる措置をとる機能も持っていないと言明した。
そして朝鮮問題にたいする国際協約は、すでに一九四五年十二月にモスクワで成立したと主張し、「朝鮮問題のような戦後調整問題は国際協約が存在する以上、国連総会の審議の対象にはならない」と指摘した(同上五八ページ)。