朝鮮の三十八度線(94)
ソ米共同委員会の破綻(24)
かれは、朝鮮は人民の支持を受ける自分たちの政府を持ち、朝鮮地域からソ米両軍が撤退するときはじめて自主独立国家になれる、米代表団が、一九四八年初にすべての外国軍を撤退するという提案に賛同すれば、ソ連軍は米軍と同時に朝鮮から撤退する準備をととのえるであろう、と指摘した(同上六一ページ)。
外国軍の撤退を主張するソ連側のこのような公式の立場は、その後の一九四七年十月九日、モロトフがマーシャルに送った書簡でも明らかにされた。
マーシャルは、軍隊の撤収は朝鮮問題の一つの側面にすぎないとしてモロトフの提案を拒絶した。他方李承晩は米軍の継続駐屯を要請した。
一九四七年十月十一日、マーシャルとモロトフは、モスクワ決議の履行対策とその活動にかんする共同報告をソ米共同委員会に提出させることで合意した。しかし、ソ米共同委員会は双方の立場の根本的な違いによって、共同報告書の作成すらできなかった。
アメリカはついに、一九四七年十月十八日、自国代表ブラウンを通じてソ米共同委員会の休会を正式に提案した。
ソ連は、十月二十日、アメリカ側の立場を非難する声明を発表し、ソウルから自国代表団を引き揚げた。
戦後米ソ間の覇権を争う冷戦が激しくなると、ソ米共同委員会はモスクワ三国外相会議決議のもっとも初歩的な課題さえ解決できずに、一年七か月目に全面的に破綻した。