일문기사

南延白原に流れ込んだ生命水

1946年、解放された朝鮮にはじめて春が訪れた。

春は1万3600ヘクタールの面積をもつ広大な南ヨンベク原にも訪れ、山の麓やあぜに草が生え、辺り一面は緑一色となった。しかし、そこには人影が見えなかった。水がなくて農業を営むことができなくなったからであった。南延白原に水を送っていたアム貯水池と貯水池の水路を38度線が断ち切ってしまったのである。原は38度線の南側にあり、貯水池は北側にあった。

日本帝国主義にとってかわって南朝鮮を占領し、軍政を布いたアメリカとスンマンかいらい一味は、北は南延白原に絶対に水を送らないだろうと触れ込み、農業用水のことで頭をいためていた農民たちを不安のどん底に陥れていた。

そうしたある日、土地改革で沸き立つ北の地から突如水が音を立てて南延白原に流れ込んだ。

キムイルソン主席が南延白原の営農状況を推し量り、鳩岩貯水池と礼儀貯水池の水門を開いて水を送るようにしたのであった。主席は翌年も南延白原の農民たちに水を送るよう取り計らった。

その水量は二つの貯水池の全水量の99%に及ぶものであった。

この同胞愛の情あふれる措置は南朝鮮の民心をとらえた。

これに慌てふためいたアメリカと南朝鮮かいらい一味の妨害策動により、鳩岩貯水池と礼儀貯水池の水路は遮断されてしまった。そのため1948年の春には、青々とよく育っていた稲苗が黄色くなって枯れはじめ、すき起こしが終わった田にはほこりが立っていた。そして、南延白原の数千数万の農民はまたもや生死の岐路に立たされることになった。

(この期に及んで、なにをためらうというのか。金日成将軍にわしらの窮状を訴え、水を送ってほしいとお願いしよう)

こう決断した農民の代表800余人が同年5月の初め、決死の覚悟で38度線を越えて北に来た。

彼らの手紙を読んだ主席は沈痛な面持ちで南の空を見やり、手紙を持ってきた活動家に、アメリカ帝国主義者が妨害策動をしているが、南延白原の農民が今年の農作に支障をきたさないように水を送ってやろう、と言った。

こうして、6月26日に北朝鮮人民委員会決定第155号「鳩岩貯水池と礼儀貯水池の灌漑用水を南朝鮮の延白地方に供給することに関する決定書」が採択された。決定書には、南朝鮮の農民の要請により、1948年6月27日から鳩岩貯水池と礼儀貯水池の灌漑用水を38度線以南の延白地方に供給すると記されていた。主席はその決定書に「北朝鮮人民委員会委員長 金日成」としたためた。

主席が送った灌漑用水、それは南延白原の農民だけでなく南朝鮮の全人民の心にしみこんだ生命水であった。

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