大朴山のふもとの檀君陵
1993年9月下旬のある日、金日成主席は、平壌市江東郡江東邑にあった檀君陵を訪ねた。それほど大きくもない陵墓は永い間風雪にさらされてさびれ、見る影もなくなっていた。
主席は、そんな陵墓を沈痛な面持ちで見てまわりながらこう言った。
「檀君陵はすごいものとばかり思っていたが、実際に来てみると小さい。……それでも、李朝五百年の間に何か少しくらいは手が加えられているのではないかと思っていたのだが、なにもされてない」
陵墓を見終えた主席は、陵の位置がよくない、ほかの地の利の良いところに移し、りっぱに改築しなければならない、私が見ておいた場所があるからそこへ行ってみよう、と一行を促した。
主席は彼らとともに大朴山のふもとに来ると、車を止めさせた。そして、周辺の緩やかな丘陵をしばらく目を凝らして眺めていた。
大朴山を背にした丘陵は眺望が開けていて、すっきりとした美しい姿を見せていた。
主席は満足げに言った。
「檀君陵を改築する位置としては、文興里のドルメン遺跡があるこの丘陵の頂が最適だと思われる。この頂に立つと、大城山革命烈士陵のように前方がすっきりと開けて見晴らしがきく。道路からも近いし、車で参観にくるのにも便利だから、ここに檀君陵を建てるのがよさそうだ」
その言葉に老学者は感嘆した。
「ここはまったくうってつけの場所です」
「そうだ、うってつけの場所だ。ここに檀君陵を造ればさぞかし素晴らしいだろう」
その後、主席は「檀君陵を立派に改築することは、わが国が五千年の悠久の歴史をもつ国であり、朝鮮民族が生まれたときから一つの血脈を継いできた単一民族であり……平壌が檀君の生まれた朝鮮民族のもともとの故郷であることを示すうえで重要な意義を持つ」として、檀君陵再建委員会を発足させた。
そして、改築工事の方向を明確に示すとともに、朝鮮民族の始祖王の陵らしく遜色なく完成させる改築案の作成を指導し、委員会が作成した最終案を具体的に検討したうえで署名した。
1994年7月6日のことだった。
この決裁文書は7月7日の祖国統一文書とともに、
改築工事が完成したのは、主席が逝去(1994年7月8日)した年の10月11日だった。
その日、檀君陵の落成式が盛大に挙行された。