昼夜を分かたず続けた現地指導強行軍

 

チュチェ98(2009)年は、わが祖国の歴史に偉大な変革の年として記された年である。

当時、わが国は新たな革命的大高揚で沸き立っていた。

同年の2月にも、金正日総書記は富強な祖国を建設するために絶え間ない現地指導の道にいた。

総書記は、ある一日間だけでも東部地区の興南肥料連合企業所(咸鏡南道)を訪れて褐炭ガス化によるアンモニア生産工程を設ける上で提起される問題をいちいち全て解決してやったのに続いて、咸興市中心部建設形成模型と咸興市インフラ総計画図、咸興青年発電所展望図を指導し、ある人民軍部隊の芸能宣伝隊公演と咸鏡南道芸術団芸能人の音楽舞踊公演まで観てやった。

たまった疲れをほぐす暇もなく総書記は、その日の夜、西部地区に位置している楽元機械総合企業所(平安北道)への強行軍の道についた。

活動家たちに任務を与えることもできたし、電話で課題を与えてもよかったが、肥料の生産に切実な大型酸素分離機の生産問題について気遣いながら総書記は、夜通し休まず1000余里(朝鮮の10里は日本の1里に相当)を走った。

その日、楽元機械総合企業所の労働者たちが大型酸素分離機2基を同時に生産するための技術的打算と準備に着手したという報告を受けた総書記は、課題を受けてから一日しか経っていないのにもう具体的な作戦計画を立てたと大変喜び、遠い強行軍の道の疲れも全て忘れたようにこの上ない満足の意を表した。

総書記はその日、楽元を発って東部地区の元山(江原道)へ、東海の2000里の道に沿って咸鏡北道の金鉄(金策製鉄連合企業所)と羅南、茂山、会寧を経て北部の鴨緑江のほとりの満浦市(慈江道)へ、満浦市から白頭山の麓へと再び数千里の現地指導の道程を引き続き歩み続けた。

 

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