朝鮮人民が継承している不屈の攻撃精神
こんにち、朝鮮人民は百折不撓の攻撃精神をもってあらゆる難関と試練を排して社会主義強国の建設を勝利のうちに推し進めている。
いかなる険路逆境の中でも悲観せず、未来に向けて力強く前進している朝鮮人民の攻撃精神は、抗日武装闘争期に創造された朝鮮革命の伝統に基づいている。
当時、朝鮮革命はいつよりも重大な難関に直面した。
日帝は、中日戦争の「戦略的後方」になった朝鮮と満州での安全を言い立てながら、朝鮮人民革命軍に対する「討伐」攻勢を強化する一方、数多くの革命組織のメンバー、愛国的人民を検挙、投獄し、革命軍と人民の連携を断ち切ろうと悪辣(あくらつ)に策動した。
主席は、当時の難局を打開し、革命を引き続き高揚へ導くために南牌子で朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議を招集した。
主席は会議で、朝鮮の革命家たちが朝鮮革命の主人としての自主的立場を堅持することについてと朝鮮人民革命軍の各部隊が白頭山周辺の国境一帯に進出して広闊(こうかつ)な地帯で積極的な軍事・政治活動を展開することについて、そして革命組織を建て直し、大衆政治工作を積極的に展開すべきだという課題を提示した。
日帝が朝鮮人民革命軍は全滅したとデマ宣伝を騒々しく繰り広げている時に、国内に進出して銃声を大きく出すのは人民に勝利の信念を与える上で大きな意義を持った。
敵の大兵力が包囲している密林で余裕しゃくしゃくとして大胆に会議を行った主席は、朝鮮人民革命軍の主力部隊を率いて朝鮮革命の歴史に苦難の行軍に記録された鴨緑江沿岸の国境地帯への厳しい行軍を断行した。
南牌子会議は、折り重なった試練と難関に頑強な攻撃精神をもって敢然として立ち向かう主席の鉄の信念と意志を見せた。
南牌子会議を契機に、朝鮮革命家たちの信念と意志は百倍、千倍に固くなり、彼らは敵の包囲を果敢に突破して敵撃滅の銃声をより高らかに響かせた。
主席は回顧録「世紀とともに」で、自身の生涯を通じての志向は、防御ではなく攻撃だったと言える、自身は革命に身を投じたその日から敢然として立ち向かう攻撃戦術をもって人生を生き抜いてきたことについて書いた。