朝鮮中央通信社が1970年代の3大革命先駆者たちの闘争精神と気風に関する詳報を発表
朝鮮中央通信社は、思想、技術、文化革命を力強く牽引(けんいん)した1970年代の3大革命先駆者たちの闘争精神と気風に関する詳報を17日、発表した。
詳報は、朝鮮人民がチョンリマ(千里馬)を駆る勢いで社会主義工業化の歴史的偉業を立派に完遂して入った1970年代は朝鮮労働党の3大革命思想と路線、賢明な指導の下でわれわれの時代の最も高い形態の大衆運動が始まり、その正当性と底知れない生命力が遺憾なく発揮された誇らしい激動の年代であったと明らかにした。
主席の高志を体して
主席と総書記の精力的な指導の下で1970年代に祖国の津々浦々が3大革命赤旗獲得運動と3大革命グループ運動で沸き返ったし、3大革命路線の貫徹で立派なモデルが創造された。
詳報は、1970年代に全国の職場ごとには集団の団結と戦闘力に活力を注ぎ、大衆を党政策貫徹へと力強く促した3大革命グループ員たちがいたと指摘した。
朝鮮労働党の革命思想で全人民を武装させるための活動が斬新に展開された。
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特に、主席が抗日武装闘争時期に創造した問答式学習方法は勤労者の政治意識を高める上で大きな生命力を発揮した。
抗日遊撃隊式鼓舞活動方法を全面的に具現した3大革命グループの活動は、宣伝・鼓舞活動でも根本的な変化をもたらした。
思想革命の強い炎の中で6カ年計画遂行の期間だけでも全国の各地で「ピバダ(血の海)」近衛隊、「花を売る乙女」近衛隊をはじめ数多くの忠誠の隊伍が組織されて活躍したし、党大会の決定の徹底した実行を保証する大衆運動が全国を沸き立つようにした。
詳報は、技術革命の炎を強く燃え上がらせて自力更生大高揚で党政策を擁護した3大革命先駆者たちが1970年代に数多く輩出したと強調した。
3大革命旗手たちの闘いの中で第5回党大会以後の2年間だけでも全国の各地で拡大したチョンリマ作業班の数は7万余り、チョンリマ工場、チョンリマ協同農場などは410余りにのぼった。
3大革命先駆者たちが職場ごとで一人が十人、十人が百人、百人が千人を奮い立たせて勇ましく進んだ大高揚熱風の中で第5回党大会が示した6カ年人民経済計画は1年4カ月も繰り上げて完遂されたし、1970年から1979年の間にわが国の工業生産は毎年15.9%の高いスピードで成長し、工業総生産額は3.8倍に増えた。
詳報は、「思想も、技術も、文化もチュチェの要求通りに!」というスローガンが朝鮮人民みんなの活動と生活の指針になっていた1970年代に社会主義文化も飛躍的に発展したし、その先頭には3大革命先駆者たちが立っていたと指摘した。
彼らは、速度戦と集団性の原則を徹底的に具現して4カ月という短期間に革命歌劇「血の海」を創作、完成して舞台に上げたし、革命歌劇「花を売る乙女」を120余日間に、革命歌劇「党の真の娘」「密林よ語れ」「金剛山の歌」を2年余りの期間に創作して5大革命歌劇の誕生を世に告げた。
名作の創作で党を擁護した創作家、芸能人の戦闘的な創作気風の中で革命的な詩と歌謡、立派な映画と演劇が日に日に創作されて全国に限りない生気と活力を注いだ。
ピバダ歌劇団と平壌芸術劇団の芸能人が降仙の地で展開した生産鼓舞活動は、当時、大高揚の戦闘場に広がっていた革命的文化の縮図であった。
抗日遊撃隊式宣伝・鼓舞の熱風の中で全国の大建設戦闘場で生産鼓舞の太鼓の音が高らかに響いた。
労働者階級の新しい文化が日々開花して全国に活力を与えた。
3大革命赤旗獲得運動の最初ののろしを上げた検徳の鉱夫たちが生産文化、生活文化を確立する上でも全国の先頭に立った。
各地の労働者たちが全国労働者芸術サークル祭典に積極的に参加して大衆文化芸術の新しい域と労働者階級の高い文化的素養をあまねく見せた。
社会主義教育制度を輝かす誇らしい道に純潔な良心をささげた3大革命先駆者たちも無数にいた。
6カ年計画遂行の初年に数十人の功労教員が輩出し、龍岡郡と鏡城郡、文徳郡と平康郡など模範教育郡が毎年増えて学びの国、教育の国に転変した社会主義制度の優越性を誇示した。
100万人以上の知識人大集団を育成すべきだという第5回党大会の決定が立派に貫徹されてわが国は技術者、専門家の大集団を有することになった。
全人民的な学習熱風の中で1971年から1975年の間に新たに52万3000人余りの技術者、専門家が養成されてその隊伍が2倍以上に拡大されて人民経済従業員総数において技術者、専門家の数は1976年に19.2%に至った。
1970年代の3大革命先駆者たちは、思想、技術、文化革命遂行の誇らしい成果で第5回党大会の決定を立派に貫徹し、共和国政府が示した第2次7カ年人民経済計画の遂行に進入して英雄的偉勲を立てて第6回党大会を堂々と迎えた。
詳報は、敬愛する