「江華島条約」はどんな条約ですか?
日本軍国主義者は、「雲揚」号事件後、自らの侵略計画に従い朝鮮封建政府に不平等条約の強要を始めました。
1875年12月19日、陸軍中将黒田清隆は7隻の軍艦を率いて、釜山についで江華島沖に現われ、朝鮮封建政府に「談判」を強要しました。
1876年1月の会談で黒田は、「雲揚」号事件の責任を朝鮮政府が負うべきだと威嚇し、不平等条約の締結を迫りました。
武力を背景にした恫喝に恐れをなした朝鮮封建政府は日本側の不当な要求に屈服し、同年2月3日、朝鮮の港を開き、朝鮮在留日本人の領事裁判権を認め、朝鮮沿海における日本人の測量及び地図作製の自由を保障することなどを定めた12カ条からなる「朝日修好条規」(通称「江華島条約」)なる不平等条約が結ばれました。