自力更生で前進してきた歴史(14)
--奇跡と変革の時代―チョンリマ時代--
自力更生によって強くなり、発展してきた朝鮮の現代史には、チョンリマ(千里馬)時代も記録されている。
チョンリマ時代が開かれていた時期は、祖国解放戦争(朝鮮戦争 1950年6月25日―1953年7月27日)が終わった後、難関が折り重なっていた時期であった。
当時、国には資金も、資材も、労力も不足であったし、人民の生活も楽ではなかった。
敵対勢力は、新しい戦争挑発策動を露骨に強行した。
朝鮮人民は、
チュチェ45(1956)年12月、平壌では朝鮮労働党中央委員会総会が招集された。
総会では、5カ年人民経済計画の初年である1957年度人民経済計画に関する問題が重要に討議された。
主席は、総会後、降仙製鋼所(当時)を訪ねて労働者たちに国の困難な状況を打ち明けてわれわれは他人が一歩を歩けば十歩を歩き、他人が十歩を走れば百歩を走らなければならないと述べ、あなたたちが来年に鋼材を計画より1万トン増産すれば国が腰を伸ばすことができると語った。
同製鋼所の労働者たちは、この1万トンの増産課題をわずか3カ月半の間にやり遂げ、6万トン能力の分塊圧延機で12万トンの鋼材を生産した。
降仙で燃え上がったチョンリマ大高揚の炎は、各部門に広がった。
全国の労働者と農業勤労者は、「チョンリマを駆る勢いで前進しよう!」というスローガンを高く掲げて、社会主義建設で革命的大高揚を起こした。
金策製鉄所(当時)では19万トン能力の設備で27万トンの銑鉄を生産し、黄海製鉄所(当時)でも1年もならないうちに大型溶鉱炉を打ち建てた。
機械工業部門の労働者たちは、30余日目にトラクターを、40日目にトラックを、1年間に電気機関車を作り出し、3000トンプレスと大型揚水機、掘削機、ブルドーザーなどを製作した。
工作機械の子生み運動を展開して、一年間に国家計画より1万3000余台の工作機械を増産した。
この時代に、機械が機械を生み、工場が工場を生むという言葉まで生じた。
建設部門では、住宅を14分に1世帯ずつ組み立てる平壌速度を創造し、農業経営の水利化が基本的に完成して社会主義農業経営の物質的・技術的土台がうち固められた。
朝鮮人民は、工業化の壮大な課題をたった14年間に実現し、社会主義工業国を打ち建てた。
世人は、力強く浮上する朝鮮の荘厳な姿を見てチョンリマ朝鮮の奇跡であると激賞した。
1961年に首都平壌に建てられたチョンリマ銅像は、偉大なチョンリマ時代の朝鮮人民の英雄的気概を誇示する記念碑、朝鮮の象徴となっている。