自力更生で前進してきた歴史(13)
--戦後、廃虚から立ち直った平壌--
チュチェ42(1953)年7月に戦争が終わった後、朝鮮の首都平壌は廃虚と化した。
侵略者は、戦争の3年間、平壌市だけでも人口1人当たり一つ以上に及ぶ42万8000余りの爆弾を投下した。
戦後、朝鮮人民は首都の復旧建設にこぞって決起した。
平壌市復旧建設は、1954年の春から本格的に行われた。
全ての平壌市民と学生、人民軍軍人は、「血潮を流して守り抜いた英雄都市、平壌を汗で復旧、改修しよう!」「われわれの首都をより美しく、より速く建設しよう!」というスローガンの下で祖国解放(1945年8月15日)9周年前に工事対象を打ち建てるための闘いに立ち上がった。
平壌市復旧建設では、毎日、課題を2倍、3倍、最高5倍に超過遂行した偉勲者が数多く輩出した。
建設者の愛国的熱意と献身的闘争の結果、対象工事が70日間に完工した。
平壌駅から牡丹峰に至るまで大通路が建設され、平壌の中心に広場が形成された。
その両側に壮大な総合庁舎が建てられ始めたし、複数の中央機関の建物が竣工(しゅんこう)した。
環状線通りが形成され、複数の文化機関と保健医療機関、住宅の外部工事も終わった。
主席は、1954年8月12日に平壌市の中心に形成された中央広場の開通式で自ら赤いテープを切り、建設の成果をたたえた。
朝鮮人民は、