万民の慈父

 

 

万民の慈父

 

金日成主席は生涯、外国の多くの友人との友誼に厚く、彼らに限りのない恩情をめぐらした。彼らの中には苛烈を極めた祖国解放戦争(1950・6~1953・7朝鮮戦争)の時期、朝鮮人民を物心両面にわたって支援したブルガリアの普通の女性ワシルカ・ニキフォロバさんもいる。

彼女は自分の回想実記にこう書いている。

「朝鮮前線への援護は単なる物資調達ではなく、歴史の宿命的な存在とされてきた勤労大衆、自分の尊厳を守るための戦いに立ち上がった人々に勇気を与え、鼓舞するための階級闘争であると思った」

暮らしに余裕のない彼女であったが、朝鮮に送る援護物資の調達で先頭に立っただけでなく、ソフィア市内の多くの家庭を訪ね回りながら朝鮮前線への援護運動を呼びかけた。

当時、ブルガリアをはじめ社会主義諸国は戦争で両親を失った朝鮮の子供を受け入れて見守っていた。彼女は、なじみのない異国の地に来た朝鮮の戦災孤児に肉親の情を傾けた。そして、前線で召還された朝鮮の大学生たちが自国で留学する際にも実の子のように彼らを世話してくれた。

朝鮮の留学生と接触する契機に主席への朝鮮人民の限りない尊敬と欽慕の念を痛感した彼女は、このように偉大な方にたった一度でも会いたいという願望を抱くようになった。

チュチェ45(1956)年、ブルガリアを訪問する主席にまみえた彼女は、祖国解放戦争を勝利に導き、帝国主義者を断固撃退して世界平和を守った主席に真心のこもった花束を捧げ丁重に挨拶した。

1975年、彼女は2回目にブルガリアを訪問した主席に花束を捧げる栄光に浴した。

1984年、主席はブルガリア訪問のスケジュールを成功裏に終えて帰国する日、彼女と家族のことをわが国のために功労を立てた人たちである、時間に余裕がなくても必ず会ってみるべきだとし、彼女らを呼び寄せた。

主席にまみえるという、このうえない幸せで胸一杯になった彼女は、娘と孫娘とともに主席に朝鮮式のお辞儀をした後、真心のこもった花束を捧げた。

彼女の家族を自身のそばに立たせて記念写真を撮った主席は、ともに祝杯もあげ、彼女らと睦まじい家庭的な雰囲気で語り合った。そして、国籍は異なるが、事実上、一家族も同様である、今後朝鮮に来てほしい、私はあなたたちをわが国に招請する、とやさしい口調で言った。

翌年、主席は彼女と家族を朝鮮に招き、彼女らに深い配慮をめぐらした。

主席への追憶を人生の最も大切なものとして胸に秘めていた彼女は、図書「金日成朝鮮とともに60年」を編纂した。彼女は図書で、主席は世界の誰も比肩できない高邁な徳望とおおらかな度量、熱烈な人間愛をもった大聖人、万民の慈父であると称えた。

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