10代に下した大勇断

 

日本帝国主義に奪われた国を取り戻すという大志を抱いた金日成主席は、父の友人たちに勧められて1926年6月、華成義塾に入学した。

華成義塾は、朝鮮人独立運動者が独立軍の幹部養成を目的に、1925年初、樺甸に設立した2年制の軍事政治学校であった。学生たちは独立軍で選抜されてきた20代の青年であり、その数は100人未満であった。

しかし、華成義塾では学生たちに正しい思想と闘争方略、軍事教育は与えず、ただ将来独立運動の支柱になるようにと強調するだけであった。主席は教育内容と方法が保守的なこの学校に止まっていては国の独立のための正しい道を見つけることができないということを痛感した。

華成義塾は、父の友人たちが建て父の縁故者が主管し、運営する学校であったので彼らとの信義を守るためには、不満があっても華成義塾の教育を受けなければならなかった。しかし、そのような方式で古い教育と妥協したくはなかった。

複雑な心理的葛藤の末、主席は華成義塾を中退しようと決心した。樺甸という狭い枠を越えてより広い舞台に進出し、朝鮮の共産主義運動をより高い段階に引き上げて本格的にくりひろげてみたいというのが、主席の熱望であった。

これについて主席は次のように回想している。

「わたしが華成義塾を半年後に中退して吉林へ移ったのは、わたしの生涯における最初の大勇断であった。

わたしが華成義塾を適時に去らず、その枠のなかに閉じこもっていたとしたら、その後、朝鮮革命を急速な高揚へと導いたあのすべての行程はそれだけ遅延したであろう」

 

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