「条約」捏造の犯罪は
必ず決算されるであろう
日本帝国主義の軍事占領期間(1905年~1945年)は、朝鮮人民の歴史でもっとも暗たんたる時期であった。日本帝国主義が朝鮮の占領を合理化する根拠の一つにしているのが、今から110年前に捏造された、ほかならぬ「乙巳5条約」である。
日本は、朝鮮封建王朝の最高代表者である国王と政府の大臣を威嚇、恐喝して詐欺の方法で条約を捏造した。
条約を捏造するために漢城一帯に多くの侵略兵力を集結した朝鮮侵略の首魁伊藤博文は、王宮に入って高宗皇帝に、皇帝の下に全国を統治するために日本人統監を任命し、各開港場に日本人行政官を任命して外交事務を東京に移転し、日本の承諾なしにはいかなる協定も他国と締結することができないという内容の「保護条約」の原案を手渡し、無条件受理するようにと強要した。そして「本案は……断じて動かすことのできない帝国政府の確固たる意思」であり「万一拒絶すれば……いっそう不利な結果を覚悟しなければならない」と脅かした。
高宗皇帝がそれを一蹴すると、封建王朝の大臣を日本の公使館に誘引して威嚇と恐喝、懐柔欺瞞の方法で彼らを屈服させようとした。しかし、それも通じなくなると、多くの騎兵や砲兵、歩兵武力で宮城の内外を幾重にも包囲し、宮城前の鐘路街付近で大規模な軍事訓練まで繰り広げた。
1905年11月17日、王宮で開かれた御前会議では「条約」の締結を拒否することに決めた。政府の大臣と日本の公使林の間に「条約」の締結をめぐる論議が行われたが、大臣の反対によってしまいには破綻した。この知らせを受けて朝鮮駐屯日本軍司令官の長谷川大将と佐藤憲兵隊長をつれて王宮に入った伊藤は、会議を終えて帰ろうとする政府大臣を隣室に閉じ込めて「条約」に賛成するよう脅迫し、一方的に公布した。
「乙巳5条約」は、国の最高主権者である(皇帝高宗)の承認や署名、国璽押印のない不法無効の偽造文書であった。高宗はこの「条約」の無効を世界に宣布し、反日義兵運動を繰りひろげるようにと秘密指令まで下した。
当時、朝鮮駐在の米国公使も米国務長官に送った1905年11月20日付け報告書で、「条約」のでっち上げに日本の強制が働いたことを認めた。
「乙巳5条約」は、日本帝国主義が銃剣を振りかざしてでっち上げた条約ならぬ偽造文書であり、法律的になんの効力もない不法な「条約」であることは論をまたない。一顧の合法性や適法性もない不法無効の文書を法的基礎にして日本は、40余年間にわたって朝鮮にたいする植民地支配統治を実施し、朝鮮人民に数え切れない不幸と苦痛、精神的および物質的被害を与えた。
卑劣なことは、今日も日本が過去の犯罪を粉飾し、それに対して心からの反省と賠償をあくまでに回避していることである。こうした日本の所業は百年の宿敵にたいする朝鮮人民の敵愾心をいっそう滾らせている。
日本は「乙巳5条約」の捏造犯罪をはじめ、朝鮮人民に犯したあらゆる罪悪に対し心から認め、謝罪しなければならず、一日も早く汚らわしい過去を清算しなければならない。