不世出の愛国者、民族解放の恩人
8月15日、朝鮮人民が日本の軍事占領(1905年~1945年)から解放されて以来、いつしか70年という歳月が流れた。しかし、いくら歳月が流れ世紀は変わっても朝鮮民族の再生の道を開き、民族の自主的運命の開拓のために積み上げた金日成主席の業績はさらに輝いている。
主席は、国と人民のために自分のすべてを捧げた。
民族受難の時代に生まれて(1912・4・15)両親から愛国的、かつ革命的な教育と影響を受けながら成長した主席は、革命の道を踏み出した当初、反日民族解放運動の実態を具体的に分析し、朝鮮革命が進むべき真の道を模索した。
当時、塗炭の苦しみをなめていた民族の運命を憂慮する憂国の士、請託や国際社会への呼びかけ、テロの方法によって朝鮮の独立を達成しようとする人々も少なくなかった。各地で反日義兵運動と独立軍運動も行われたが、失敗を重ねるだけであった。ロシアにおける10月革命の勝利以後、朝鮮共産党が創立されたものの、初期共産主義者とえせマルクス主義者は派閥争いと勢力争いをこととし、人民に背を向けて空しく日々を送っていた。
既成の方法や世代に依拠しては祖国解放の偉業を正しく前進させることができないということを痛感した主席は、セクト主義と事大主義に毒されていない新しい世代の青年を教育し、結集するための活動から始めた。主席は、新しい世代の青年で従来の組織と区別される新しい型の共産主義的革命組織である打倒帝国主義同盟を結成(1926・10・17)し、青年を中核にして広範な大衆を反日愛国闘争へ決起させるための活動を展開した。
チュチェ19(1930)年6月30日から7月2日にかけて開かれた歴史的な卡倫会議で、革命と建設の主人は人民大衆であり、革命と建設を推し進める力も人民大衆にあるというチュチェ思想を示した。日本帝国主義に反対する武装闘争を展開するという路線を打ち出した主席は、チュチェ21(1932)年4月25日、朝鮮人民の初の革命武力である反日人民遊撃隊を創建し、日本帝国主義に反対する武装闘争を開始した。
国家的後方や正規軍の支援もなく、日本帝国主義の100万大軍を向こうに回した抗日武装闘争は犠牲を伴う苦難にみちた厳しい闘争であった。しかし、主席は自分よりも外部勢力に踏みにじられている国と人民を先に考えてあらゆる難関を突き抜け、ついに日本帝国主義を打倒して祖国解放の歴史的偉業を成就した。
主席によって抗日大戦に勝利し、祖国解放の歴史的偉業が達成されて、朝鮮人民は5000年の歴史上初めて自己の運命の主人となって自主的発展の道を歩むことができた。日本の占領期、人口が約2000万であった朝鮮で840余万名の青壮年が日本帝国主義に拉致、連行されて戦場や苦役場に駆り出され、100余万名が無残に虐殺され、20万の女性が日本軍の「慰安婦」に強制に連行されて性奴隷生活を強いられた。朝鮮民族は自国の言葉や文字も自由に使うことができなくなり、名前すら日本式にかえるよう強いられた。
しかし、国の解放(1945・8・15)によって民族の自主的発展の道を遮っていたあらゆる束縛が一掃され、富強祖国建設の明るい道が開かれた。人間以下の虐待を受けていた人民が解放後に実施された初の民主選挙を通じて、国の主人となり人間の真の権利を行使するようになった。また、土地改革が実施されることにより、自分の土地を耕作したいと願った農民の世紀にわたる宿望が実現され、労働者は労働法令の恩恵の下で8時間労働制をはじめ労働と休息の権利を十分に保障された。男女平等権法令の発布により、封建的圧迫と束縛の道をさ迷っていた女性は男子と同等な権利をもって社会生活に参与することができた。民主的自主独立国家を建設するための朝鮮人民の力強い勤労のたたかいにより、工業と農業をはじめ人民経済の各部門が新たな高い段階へと発展した。
まさに今日、政治・思想強国、軍事強国、青年強国、人工衛星製作および打ち上げ国、核保有国としての威容を轟かしているわが祖国は、
祖国の強化、発展と民族の隆盛・繁栄のための万代の礎を築いた不世出の愛国者、民族解放の恩人である