主体108(2019) 12月 8日

朝鮮の三十八度線(43

 

北緯三十八度線―最初の公式記録文書(1

第二次世界大戦末期、ソ米両国間の合意によって設定された界線北緯三十八度線は、朝鮮半島で降服した日本軍の武装を解除するための臨時的な作業分担線にすぎなかった。ソ米が合意した北緯三十八度線は、軍事作戦上の臨時界線にすぎず、朝鮮の分割界線ではなかった。

北緯三十八度線による作戦地域分担案は、アメリカの発意によるものであった。日本は戦争末期にも「最後の五分まで」というヒステリックなスローガンをかかげて抵抗をつづける態勢をとっていた。ポツダム宣言発表後も日本軍部は依然として無条件降服を拒んでいた。

米英が最後通牒を発表した翌日の七月二十七日、主戦派軍部巨頭の圧力で記者会見に臨んだ日本首相鈴木貫太郎は、政府はポツダム宣言に大きな意義を認めず、それを黙殺する、われわれは戦争をりっぱに終結させるため後退することなく前進をつづけるであろう、と語った。

日本の支配層は、日本軍は長期戦の準備が十分にできていると豪語し、人民を戦争に駆り立てる宣伝キャンペーンをくりひろげた。日本は徴兵対象者の年齢を十七歳に引きさげ、一九四五年八月、その兵力を約七百二十万名に増強した。このほか日本は五百余隻の軍艦と一万余機の航空機を保有していた(『第二次大戦とアジア・アフリカ人民の運命』朝鮮語版九三ページ)。

日本が一九四四年十二月から長野市に天皇をはじめ皇族、政府機関、陸海空軍各司令部を収容する大本営地下壕の建設を進めたのも長期戦計画の一環であった。この地下施設建設工事では日本に強制連行された朝鮮人が憲兵と高等警察のきびしい監視のもとで酷使された(『罪悪の足跡』平壌、一九八五年、六一~六七ページ)。

日本がポツダム宣言を拒否し長期抗戦をつづける態勢をとっていることを察知したアメリカは、日本を降服させる戦術的方案を立てた。日本に無条件降服を強要せず「天皇を国家元首として残すことを許す」として、日本の早期降服をとりつけることがその第一の方案であった。同時にアメリカは、新たに開発した原子爆弾を日本本土に投下する問題にも大きな関心を向けた。

アメリカは、ルーズベルトが一九四〇年に核研究のための「ウラニウム諮問委員会」の設置を承認してから五年たって原子爆弾の製造に成功し、一九四五年七月十六日、ニューメキシコ州の砂漠にある米空軍基地で最初の原爆実験爆発をおこなっていた。

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