主体108(2019) 12月 12日

朝鮮の三十八度線(42

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(12

日本兵力の掃滅を主な目的にしていたアメリカの本来の作戦計画は、情勢の変化にともなって大陸のより多くの戦略的地域の占領をめざす計画に変更された。しかし当時、東北アジア地域におけるソ連とアメリカの軍事的地位において、米軍はきわめて不利であった。米軍が朝鮮とその周辺に兵力を展開するには、軍事的抵抗がない場合も十五日以上海路を北上しなければならなかった。

そこで米軍専門家たちは、いずれの場合にも朝鮮にたいしては、米国務省の後見制方針を軍事的に保障する列強共同占領の実現が緊要であると見ていた。それでかれらは、ポツダムの米ソ協議に臨む米軍事代表団の方針にたいする建議書で、対朝鮮軍事作戦は海からの上陸と同時に、地上ではシベリアからの攻撃を含むものとする、したがって政治的理由からも朝鮮は協同作戦地帯として、統一的指揮下に置かれるのが望ましいと指摘したのである(『アメリカの対外関係外交文書 <ベルリン会談(ポツダム会談)> 一九四五年』第二巻、ワシントン、一九六〇年、九二五ページ)。

アメリカは朝鮮の共同占領と米軍の「統一的な指揮権」掌握をもくろんだが、当時の実情ではそれが朝鮮における最上の成果だと認めていたのである。

米陸軍参謀総長マーシャルは陸軍作戦局長に、新たな戦略的企図にもとづいて米軍の朝鮮半島進攻作戦を準備するよう命じた。

米陸軍省軍事歴史研究所長R・アプルマンの『朝鮮戦争における米軍』によれば、当時、米陸軍作戦局長と参謀たちは、朝鮮半島地域での米軍とソ連軍の地上境界線を確定する研究をおこない、少なくとも仁川港と釜山港を米軍の作戦地域に含めるべきだとしてソウル北方に線を引いた。それは正確に北緯三十八度線と一致しなかったが、ほぼそれと一致していた(日本雑誌『中央公論』 一九八〇年九月号)。

かれらは最初の攻撃目標として東南方では釜山を、西方ではソウルを予定した。それは日本の降服を見渡したアメリカの秘密計画で、そこにはすでに朝鮮分断の種を宿していたのである。

ヤルタ会談でスターリンとルーズベルトは、朝鮮に外国軍を駐屯させないことで合意していた。しかし、アメリカは新しい情勢が到来すると、五か月前の合意を反故にしてしまった。米陸軍長官スティムソンはトルーマンに、朝鮮半島に米陸軍と海軍の一部を配置すべきだと提起した(『アメリカの対外関係外交文書<ベルリン会談(ポツダム会談)> 一九四五年』第二巻、六三一ページ)。そして、それは米軍部の戦略的方針となった。

マーシャルもポツダムで米海軍作戦部長キングと駐ソ米大使ハリマンに、ソ連軍の朝鮮占領前に日本が降服すれば、米軍を朝鮮半島に上陸させる計画だと述べた。

当時、アメリカの政策作成者たちが書いた秘密報告書は、利害関係を有する当事国中の一か国だけが朝鮮半島に進攻するのは政治的に望ましくないとして、なんとしてでもソ連の単独進出を阻止し、できるだけヨーロッパにおけるドイツ占領方式をアジアの朝鮮でも再現する、としている。以上でわかるように、朝鮮の独立は全くかれらの関心の外におかれていたのである。

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