主体108(2019) 12月 13日

朝鮮の三十八度線(40

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(10

アメリカ側は軍事会談で五項目の必要事項をソ連側に提出した。この文書で米国人は、朝鮮東海での米海軍(潜水艦を除く)の自由な機動と、清津地区以南朝鮮半島での米空軍の自由な作戦の認定をソ連側に求めた。

ソ米英の軍事専門家たちは、二回にかけて作戦地域の確定問題を協議し、連合軍が四方面から同時に進攻する問題でだけおおよその合意に達した。すなわちソ連軍は北から、中国(蔣介石)軍は西から、米英軍は東と南から日本と満州、朝鮮をめざして集中攻撃を加えるという対日協同作戦の一般事項だけが決定された。

トルーマンもソ連軍が朝鮮半島に進入するにはまだ多くの日数がかかると見ていたので、連合軍の地上軍作戦界線や軍事占領地域など具体的な問題はそこで討議にかけられなかったし、いかなる合意も見なかった。

トルーマンは、後日、回顧録で、ポツダムでの軍部首脳会談の席上、ソ連が太平洋戦争に参加する場合、朝鮮地域に米ソが空軍と海軍の作戦境界線を引くことで協定を結んだ、しかし、地上作戦についてはなんらの討議もなされなかったとし、それは米地上軍にしろソ連地上軍にしろ近い将来そこに進入する可能性がなかったからであると書いている(『トルーマン回顧録(2)試練と希望の年』三一七ページ)。

ソ米軍事当局者は朝鮮半島地域における海空軍の作戦界線にたいしては限界を定めた。当時の海空軍作戦計画によれば、それは朝鮮東海上の北緯四十度、東経百三十五度の地点と、北緯四十五度四五分、東経百四十度の地点を結ぶ線で、北からサハリンの腰を斜めに横断し、朝鮮東海を経て南の対馬海峡にいたる線であった。だからそれにはソ連の海空軍作戦地域に満州と朝鮮半島全域がすっかり入っていた。

ポツダムで確定したこの海空軍作戦地域問題は今日でも一定の意義を持っている。一部の史家はソ米間で合意が成立した海空軍作戦境界線はおよそ朝鮮・満州国境線と一致するとし、対日戦初期この線上で作戦をおこなったソ連地上軍は日本の降服意向を「他に先んじて知ると領土的野心にとりつかれて」ポツダム協約に反し、あわただしく第一極東戦線軍先遣隊の「進路を大きく南に変え」北部朝鮮に進出したと主張している。そしてアメリカが朝鮮の腰に三十八度線を引いたことにたいしては、「合意に違反したソ連軍の南下を防ぐため」の「正当防衛」であったと説明している。

しかし、その見解は歴史的事実に反している。

それはまずソ米の作戦討議過程が実証している。作戦討議のさいアメリカ側は当面日本本土進攻作戦だけを計画していると述べ、そのため朝鮮東海における米海軍の自由な機動を認めることをソ連側に求めた。そして朝鮮半島にたいするソ米協同進出にたいしては拒絶した。

これはフィリピンに基地を置く米軍が日本本土の外の朝鮮半島にまで影響を及ぼす軍事的能力がなく、したがってアメリカはその地帯にたいしてはソ連軍の作戦地域として認めざるをえなかったことを示している。

一部史家の見解が非論理的であることはまた、当時の軍事的状況が実証している。ソ連軍の第一の目標は中国東北部にいる日本関東軍主力の掃討にあったし、その第一次作戦界線は朝鮮北部を含む朝鮮・満州国境線あたりまでであった。これについてはソ連の学者も、一九四五年六月末、ソ連軍最高司令部がモンゴル人民共和国の突出部とソ連沿海州の二つの基本的方向から挟撃するという最終決定を採択したと確言している(『極東における勝利』朝鮮語版 三一ページ)。

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