主体108(2019) 12月 13日

朝鮮の三十八度線(36

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(6

滅亡に瀕した危急な情勢のもとでも、日本帝国主義は「大和魂」を鼓吹して必死の抵抗を試みていた。日本軍の抵抗はとくに沖縄島で熾烈をきわめた。米軍は、三月二十五日、四十五万一千八百六十名の兵員と一千三百十七隻の軍艦、一千七百二十七機の航空機を投入して八万名の日本軍が立てこもる沖縄島への上陸作戦を開始したが、三か月後の六月二十一日にやっと同島を占領することができた。

沖縄の空と海における「神風」特攻隊の体当たり戦術は米軍にかなり大きな損害を与えた。日本特攻隊のパイロットたちは約一千九百回出撃して軍艦二十六隻を撃沈し、百六十四隻を撃破するとともに、兵員四万六千名を殺傷した。

潜水艦から発進した「回天(人間魚雷)」は航空母艦、重巡洋艦など十四隻を撃沈した。

沖縄上陸作戦で米軍は七万五千二百七十名の死傷者と行方不明者を出したが、これは第二次大戦中米軍が蒙った最大の損害であった(大戦中における米軍の損害は十万名にすぎなかった)。

沖縄上陸作戦の苦しい経験を通してアメリカは、対日戦が今後二年以上はつづくものと見て、長期戦計画を作成した。

米陸軍参謀総長マーシャルが作成し、一九四五年六月、トルーマンが承認した米軍の太平洋戦争計画はつぎのようなものであった。第一段階(一九四五年の夏期および秋期)― 日本の都市を海と空から封鎖し集中爆撃を加えたあと、米第六集団軍が、十一月一日、日本最南端の九州で上陸作戦をおこなう。第二段階(一九四六年三月)― 第八・第一〇集団軍とヨーロッパ戦線から移動してくる第一集団軍からなる主力が第二次攻撃を加えて本州に上陸し、関東平野を遮断する。第三段階(一九四七年初まで)― 日本を完全に軍事的に屈服させる連続的作戦を断行する(『第二次大戦史 一九三九~一九四五年』モスクワ、一九八〇年、一七四ページ)。

米軍総司令部は、対日作戦に少なくとも七百万の兵員が必要であり、百万以上の犠牲を出すものと予想した(『極東における勝利』朝鮮語版 一七ページ)。

対日作戦にこのような見通しを立てていたアメリカとしては、ソ連の対日参戦に大きな意義を認めざるをえなかった。駐ソ米大使ハリマンの回想によれば、米陸軍長官スティムソンは一九四五年五月国務次官グルーに、ロシアの参戦は戦争期間を大幅に短縮して多くの米国人の生命を救える点で大きな軍事的意義を有するであろうと述べている。

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