主体108(2019) 12月 8日

朝鮮の三十八度線(34

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(4

ソ連の対日参戦にかかわるソ米両国の具体的な軍事作戦上の問題は、連合軍参謀長会議で再び討議され、三か月後のヤルタ会談でひきつづき検討された。

モスクワ会談でアメリカは、ソ連の対日参戦時赤軍の作戦範囲を在満日本陸空軍の撃滅に局限して、その影響が朝鮮と日本に及ぶのを防ぐ一方、ソ連への戦争物資供与と引き換えに、ソ連の極東地域に米軍基地を設けようとした。

他方ソ連は、十二月中旬、一九〇四年の日本軍の背信的攻撃によって奪われた南サハリンとクリル列島のソ連帰属、大連港の自由港化、旅順を含む遼東半島の一部の租借と東中鉄道、南満州鉄道の共同管理、外蒙古(モンゴル人民共和国)の現状維持の認定を対日参戦の条件として提起した。

当時米英側はソ連の対日参戦を切望していた。

米英軍の参謀長たちは、ドイツ降服後も日本を敗亡させるには十八か月はかかり、それも困難な過程を経るものと見ていた(W・リヒ『わたしはそこにいた』ニューヨーク、一九五〇年、二五九ページ)。

かれらは日本本土進撃は、一九四六年末ごろになると見ていた。そこで米統合参謀本部は一九四五年一月、アメリカの太平洋作戦が最大限の支援を受けるためロシアを一日も早く参戦させることが緊切に望まれるというメモランダムをルーズベルトに提出した(『アメリカの対外関係外交文書<マルタおよびヤルタ会談> 一九四五年』三九六ページ)。

ソ連の対日参戦問題は一九四五年二月のヤルタ会談で最終的な合意を見た。会談でルーズベルトはこの問題を再び提起し、スターリンと極秘裏に討議した。

スターリンはすでにテヘラン会談で約束したとおり、ソ連東部地域の安全を保障し極東における戦争の発源地を取り除くため、対独戦終結後、対日戦に参加すると重ねて確言し、さらに一九四四年十二月に提起したソ連の要求条件を想起させた。スターリンは、ソ独戦争はソ連を侵攻したドイツ軍との戦いであるが、ソ日戦争は日本軍の明確な対ソ敵対行為がない状況のもとでソ連が日本を攻撃する戦いである点を指摘し、もしソ連がそこで一連の利権を認められないとすれば、ソ連邦最高会議も人民大衆もソ連の対日参戦の必要性に疑問をいだくであろうと言明した。

ルーズベルトは、ソ連側の条件のうち中国と関連した問題は蔣介石政府の同意が必要だと主張した。もともとヤルタ会談に先立って、米英側はソ連の要求条件について意見を交換し、それを拒否することにしていたのだったが、ソ連を対日戦に引き入れるためには、要求条件をのむほかないと考え直したのである。

こうして、一九四五年二月十一日、ヤルタでソ米英三国首脳はソ連の対日参戦と関連して秘密協定を結んだ。ここでソ連は、ファシスト・ドイツの降服後二、三か月内に対日戦に参加し、米英側は対日参戦と関連して提起したソ連側の要求条件に同意することを確認した(『国際条約集<戦争関係1>』一三七ページ)。こうしてソ連の対日参戦は確定した。

同協定は極秘に付されて、ヤルタ会談の記録にものらなかったし、蔣介石にも伝えられなかった。この秘密協定は対日戦終結後の一九四六年二月十一日、ソ連によって公開された。アメリカは一九五四年三月十六日、その内容を公開した。当時、米共和党指導部は同協定によってルーズベルトが日本と蔣介石中国をソ連に売り渡し、極東でソ連の優位を許したと激しく非難し、一部の右翼議員は協定の破棄を求める決議案を提出した。

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