主体108(2019) 12月 8日

朝鮮の三十八度線(32

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(2

一九四三年十一月、テヘラン首脳会談の席上、ルーズベルトはチャーチルとともに、ソ連の対日参戦をスターリンに要請した。米英側は、対独戦でヨーロッパ西部に第二戦線を形成するようにというソ連の要求にたいし、ソ連も対日戦に加わり日本の北部戦線に新たな第二戦線を設定するよう要求したわけである。スターリンは、極東駐屯赤軍兵力は防御には十分だが、攻撃作戦では三倍の兵力が必要なだけに、対独戦中は対日戦参加が不可能である、しかしドイツの撃滅後は六か月で兵力を補充し、対日戦に参加する、と米英側に答えた(『一九四一~一九四五年<偉大な祖国戦争期間国際会議におけるソ連の立場>文献集』第二巻、モスクワ、一九七八年、九五ページ)。

同時にスターリンは、戦後の極東問題調停にたいするソ連の立場を表明した。

対日戦の勝利が確定的だと見たソ連は、東方問題で自国の利権が確保できるならば参戦に踏みきるつもりであった。

会談の席上ソ連側が対日参戦に賛意を表すると、ルーズベルトは、ソ連極東地域に一千機の米軍爆撃機を収容する空軍基地を建設したいと言った。極東に発進基地を設けて日本本土爆撃の可能性をつくるとともに関東軍の南太平洋転出を阻止し、同時にソ連の対日中立を破棄させようとしたのである。しかしスターリンは、極東地域に米軍爆撃機基地を建設すれば、日本の先制攻撃を招く恐れがあるとして拒否した。

アメリカは一九四三年秋、ソ連の対日参戦を促すため少将ディーンを団長とする常駐軍事使節団をモスクワに送りこんだ。しかしファシスト・ドイツとの戦争に総力を傾けなければならなかったソ連は対日参戦問題の論議を一年近く見送り、戦局がすっかり好転した一九四四年後半になって、それに応じた。一九四四年十月四日、ルーズベルトはスターリンに日本の撃滅にソ連が協力するよう重ねて要請した(『一九四一~一九四五年 偉大な祖国戦争時期におけるソ連内閣首相と米大統領および英首相とのあいだの往復書簡』第二巻、モスクワ、一九七六年、一六三ページ)。

上の要請は一九四四年十月九日~十二日、チャーチルのソ連訪問中モスクワでのソ米英会談で合意を見た。ルーズベルトは、本国における大統領選挙戦のために参加できず、駐ソ米大使ハリマンが米軍使節団団長ディーンをともなって会談に出席した。

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