主体108(2019) 12月 12日

朝鮮の三十八度線(31

 

  第三章 米ソの対立と妥協の申し子

ソ米英首脳のヤルタ会談後、戦局と国際情勢は急激に変化していった。一九四五年四月、赤軍によるヒトラーの最初の犠牲者オーストリアの奪還によって、ヨーロッパ全土はファシズムの支配から解放され、五月にはベルリンが陥落して、ついにドイツは降服した。第二次世界大戦の最後の戦線アジアでは朝鮮など西北太平洋沿岸がソ米英列強の対日作戦地域となった。

単独で日本を撃滅するだけの軍事力に欠けていたアメリカは、ソ連が対日参戦に同意した当時、ソ連に接する満州や朝鮮半島地域には作戦的構想すら持ち合わせていなかったが、日本が降服を急いでいることを探知すると、ソ連軍に先んじて地上軍を朝鮮半島南部に進出させようともくろんだ。

こうした思惑は、日本の降服を前にして列強間に複雑な外交上のかけひきがおこなわれはじめたとき、アメリカがソウルを含む北緯三十八度線以南の朝鮮半島に米軍を上陸させる作戦地域分割案を持ち出したことに現れた。

 

単独進出は政治的に望ましくない―米ソ外交戦(1

日本にはまだ十分な戦争遂行能力があると見ていたアメリカは、ドイツの敗北後も太平洋戦争が数年間つづくものと判断し、同盟諸国の力を借りて敵を倒す「遠距離戦争」政策を実施した。かれらは、ソ連とイギリスに軍需物資を売りこんでドイツと戦ったように、太平洋戦争でも中国とソ連の力を利用して日本を敗亡させようとしたのである。

アメリカは、太平洋戦争にソ連を引きいれるための対ソ外交を数年前から進めていた。日本の真珠湾攻撃後、ルーズベルトは、駐米ソ連大使リトビノフにソ連の対日参戦を要請したが、当時モスクワ近郊に迫っていたヒトラー・ドイツとの戦いに総力を傾けていたソ連は、これを理由にその提議を拒絶した(『軍国主義日本の撃滅とアジアにおけるソ連の解放者的使命』モスクワ、ア・ペ・エン出版社、一九八五年、朝鮮語版七~八ページ)。

インドネシア、フィリピンなど南太平洋上のほとんどすべての国と島を奪われ、この地域でかろうじて軍事的均衡を保っていた米英軍には、中国大陸にいる日本関東軍を牽制することが死活的な問題であった。しかし、ソ連は日本と一九四一年にソ日中立条約を締結していたため、それが有効であるかぎり、日本軍指揮部は、ソ満国境に展開している三十個師団の兵力と膨大な戦闘機材、装備をいつでも南太平洋に移すことができ、アメリカは大きな打撃を受ける恐れがあった。そこでルーズベルトは太平洋戦争初期から、国民党中国軍の対日戦への積極的参加を求めて、蔣介石をカイロ会談に招き、長期間かれに武器を供与したのであった。しかし、日本の主な戦線が南太平洋に移動したあとも、蔣介石はルーズベルトの期待を裏切り、日本となれあって自軍を中国共産党と労農紅軍の「討伐」にふり向け、国内戦争に熱をあげていた。

単独で日本を破るのが困難だと考えたルーズベルトは、ソ日間の中立状態を終わらせソ連を対日戦に引き入れるための戦略的外交をおし進めた。

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