主体108(2019) 12月 12日

朝鮮の三十八度線(29

 

四列強共同占領案(1)

アメリカの朝鮮後見計画は具体化段階に入った。

太平洋の全域で日本が敗北を重ねていた一九四二~一九四三年、アメリカはソ連など反ファッショ勢力との同盟関係を死活的な要請とし、太平洋憲章の適用範囲の拡大、カイロ宣言の発表などを通してかれらとの連帯をはかる一連の外交措置を講じた。

一九四二年十二月十八日、米国務省が蔣介石に送るために作成し、ルーズベルトに提出した手紙の草稿には、仏領インドシナのような地域では中国とアメリカが強国として振る舞えるだろうが、シベリアと朝鮮それに日本を含む太平洋北部ではロシアを考慮し、朝鮮の独立のような問題をロシアの参加なしに決定しようとしてはならない、この地域でソ連を無視すれば緊張をいっそう先鋭化させるであろうという内容が盛られていた(『アメリカの対外関係外交文書、一九四二年、中国』 一八五~一八六ページ)。

しかし、一九四五年五月八日にファシスト・ドイツが滅亡し、さらに日本が講和を試みはじめると、アメリカの政策はしだいに反ファッショ連合の同盟的義務から離脱しはじめた。それは、アメリカがヤルタ合意に背き朝鮮を四つの地域に分割して軍事占領する計画を立てたことにはっきりと現れている。

戦時中、アメリカで最大の権限を持っていた米統合参謀本部は、一九四五年六~八月に日本と朝鮮半島を占領する計画とその秘密報告を作成した(この秘密文書は三十年後の一九七五年に公開された)。それは、朝鮮を米英中(蔣介石)ソ四列強の軍隊が分割占領するとしており、分割占領計画は三段階に分けておこなわれることになっていた。

第一段階は、米軍がまずソウルに進駐し、ついで戦略的要衝群山(クンサン)と釜山(ブサン)に進駐する、この期間に朝鮮の南部は米軍が、北部はソ連軍が占領するが、その主力は米軍でなければならない、としている。他の連合軍の駐屯についてはその介入を排除しないという程度に言及されている。第一段階の期間はおよそ三か月と予定された。

第二段階は、日本軍の武装解除がおこなわれ、その本土帰還が開始される時期と規定された。この期間に降服した日本軍約二十七万名と解体された警察兵力約三万五千名は日本本土に輸送され、アメリカとソ連はイギリス軍と中国軍を請じ入れて、朝鮮半島を連合国が共同占領する。ソ連軍は清津(チョンジン)、羅津(ラジン)、元山(ウォンサン)、ソウルに、米軍はソウル、仁川(インチョン)、釜山に、イギリス軍は群山、済州(チェジュ)島、ソウルに、中国軍は平壌(ピョンヤン)とソウルに駐屯し、ソウルにはベルリンと同様四連合軍が協同駐屯することになる。ここで第二段階はおよそ九か月間と見られていた。

第三段階では日本軍の武装解除が完了し、連合国管理理事会が構成され、アメリカが理事会の委員長をつとめるそのさい理事会には米ソ中英の民間人代表の参加も予定されていた。さらに、駐屯軍司令官は管理理事会の指揮下に入り、占領軍の位置は第二段階に駐屯した地帯とするが、兵力は削減される。第三段階に入れば、朝鮮人の自治参加範囲を若干広げ、朝鮮の統治構造は米軍占領下の日本の統治構造と同じ形態とする。

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